2013年12月29日日曜日

「The Railway Man」を観て考えたこと




日本で公開されているのかどうか。この物語は第二次世界大戦で日本軍がシンガポールを陥落後、タイとビルマ(現ミャンマー)を繋ぐ泰緬鉄道を捕虜であるイギリス、オーストラリア兵などを使って建設したことが舞台になっている。実話を基にした小説が原作。主人公は、イギリス通信兵捕虜のロマックス。

 

彼は仲間のイギリス兵と共に日本軍の捕虜になり、泰緬鉄道建設に駆り出される。マラリア、コレラなどが蔓延する熱帯のジャングルを切り開いて作る鉄道は困難に困難を極め、また捕虜の扱いも奴隷のような扱いで死者多数を出した。ロマックスは当時若い通信兵で、日本軍に隠れてラジオを組み立てて聞いていたのを発見され、実際はラジオなのに、日本軍から通信機で本国に通信していた疑いがもたれ、拷問され自白を強要される。

 

彼の前には常に日本軍憲兵隊の同じ年頃の通訳である永瀬隆がいて、ロマックスは日本軍の命令を永瀬の口からいつも聞くことになる。当然恨みの矛先は直接接触している永瀬に向けられる。

 

数年後、連合軍の上陸作戦により形勢は逆転し、捕虜は解放され、今度は永瀬達日本兵が捕虜になり、戦争犯罪人として裁かれることになる。連合軍の隊長が永瀬に対し軍の所属と身分を問ったときに、永瀬は、自分は憲兵隊員ではなく、一介の通訳だと答える。

 

戦後、三十年が過ぎたころにイギリスで静かに暮らしていたロマックスがある新聞の記事を目にする。それは、永瀬がタイの戦争博物館で罪滅ぼしとして、ガイドの仕事をしているという記事。そして数年後、ロマックスはタイに出かける。人が周りにいないころを見計らって永瀬と再会したロマックスは隠していた短刀を抜いて永瀬を殺そうとする。永瀬は怯えながらも抵抗せず死ぬ覚悟をする。しかし覚悟をした永瀬をロマックスは、どうしても殺せない。あんなに何十年もトラウマに悩まされ、復讐を誓った相手が目の前にいるのに殺せない・・・

 

ロマックスは妻と共に二度目のタイ訪問をし、永瀬とまた再会する。その時に永瀬から「I’m sorry」という謝罪の言葉を聞き、永瀬を許すことにする。そして、その後二人は親友になり、親睦を深め、その親睦は永瀬がなくなる2011年まで続いた。

 

私がこの映画を観たちょうどその日に、安倍首相の靖国参拝があった。映画では日本軍による英国兵への拷問の場面などが迫力ある映像とサウンドで繰り広げられ、これを観た誰もが旧日本軍の残虐性を再認識したり、新たに発見したりするように思え、ある意味でタイミングが悪い映画だなあと思った。映画が終わって帰るときに、誰かが日本人である私を変な目で見ていないか周りを見渡したくらいである。

 

この映画は戦争の残虐さを描きながら、最終的に和解し、親友となった物語で、映画が終わったときに多くの人たちが拍手したくらい感動の映画であったが、その時に思ったのが、中国や韓国で流れている旧日本軍の物語は、この前半だけで終わっていて、後半のない映画であろうと。同じ戦争を描いても、描く側に相手を許す気持ちがなければ、残虐さを強調してそのまま終わり、観終わった人たちは、残虐な行為をした者たちを憎み復讐を誓う。これを政治家は期待しているのであろう。

 

もちろん旧日本軍だけでなく、似たような戦争の残虐性を扱った映画があり、たとえばナチスドイツを舞台にしたものもたくさんある。ただ、私の知る限り、それらの映画はナチスドイツの残虐さを描きながら、現在のドイツ人と一緒に観てもおかしいことはなく、互いが理解でき、互いにこのような残虐なことを二度と起こさないようにという気持ちにさせる。ところが中国で放送されている旧日本軍を扱った番組は、私は見ていないが、聞くところによると日本人が一緒に観ることができないくらい、一方的に日本の悪口をいい、その悪口の言い方に品性がなく、そしてそれが時代を越えて、現在の日本も戦前の日本と同じだというように思わせようと誘導しているところに問題があると思う。その映画には日本人に対するというより、人間に対するやさしさや愛が欠けており、その目的はとても政治的であると思う。一度実際に観てみたいものだ。

 

さて、私が永瀬隆だったらどうしただろうかと考えてみた。おそらく戦争という抜き差しならぬ環境のなかで、また通訳という一介の身分では、自分の意見を反映されるのがとても難しいと思われる。映画の中でも永瀬はロマックスに対し個人的に恨みを持ったり、特に虐めてやろうと思ったりしていた訳ではない。外国において、外国人捕虜を使って作業させるという命令の基、彼は自分の職務を果たしていただけなのだ。そのことはロマックスも分かっていて、それがゆえに最終的には彼を許したと思う。

 

もし永瀬が、英国やロマックス個人に対して贔屓をして、上官に隠れて特別になにか助けてあげるとか、励ましの言葉をかけてあげるという行為は考えられたか。まず永瀬はロマックス個人をその時はよく知らない。そしてそのような行為は、日本を裏切るような行為であり、余程彼の中で、死を覚悟してでも成し遂げるような確立された精神がなければ上官の命令に逆らってまですることはできなかったと思う。

 

わかりやすい言い方をすれば、彼は普通の人で、淡々と自分の職務を熟しただけなのだ。そもそも外国で外国人を強制的に働かすことに無理があり、それをどうしてもしなければならいない場合、おそらく誰もが旧日本軍のようになってしまうのではないかと想像する。

 

最終的にロマックスが永瀬を許し、その後死ぬまで親友でいたのは、お互いがその立場を認めて、異なる環境ながら、同じ精神を見つけたからであろうと想像する。戦争中はお互い自分の国の名誉のために戦っていた。戦争なのでお互いの利害が異なるが、もし相手を騙したり、罠にかけたりする行為があれば、それはおそらく万人が許せなく、軽蔑するものである。一方スポーツマンシップのようにある一定の許せるルール上で戦った場合、戦争が終わったときに相手の立場を理解する気持ち、つまり自分も相手の立場に立てばそうしていたと思える時に人は許せるのではと想像する。あくまでも想像であるが。

2013年12月25日水曜日

「イエスの生涯」を読みながら


クリスマスが近いある日、次の仕事まで時間が余っていたためになんとなく寄ったシドニー市内にある「ほんだらけ」という日本の古本屋さんで、「イエスの生涯」という本に出会った。イエス・キリストの生涯に関して今まで本(新約聖書を含む)を読んだり映画で観たりして粗筋は分かっていたのだが、なにか信者としてではなく、歴史書として、哲学書として読んでみたいという気持ちがありそういう本を探していた。

 

著者の故遠藤周作さんはクリスチャンで、そういう意味では信者が書いた宗教書なのかも知れない。しかし生前の彼の他の作品を読んだことのある私としては、きっと聖書のような宗教書ではなく、彼なりのウィットにとんだ人間臭い物語だろうと想像して本を買った。そして読むにつれて、この本はキリスト教を宣伝する本ではなく、遠藤氏の真実を知りたいという気持ちが込められた歴史書だということがひしひしと伝わってきた。まだ本の半分程しか読んでいないが、自分の感動を忘れないうちに書きとめたいという気持ちがこれを書かせている。

 

まず文章で気付いたのであるが、遠藤氏はクリスチャンなので、イエスのことを書くときは敬語を使っている。それが読み物として読んでいる私としてはなにか偏った文章に思え気持ちがよくない。つまり私としては新聞の記事のように自分とイエスとの関係を突き放して客観的に淡々と書いてほしかった。ただ不思議なことにイエスのことはイエス様とは書かずここはイエスと書いている。まあこれから語ることに比べればこのことはつまらぬことで、落語の枕みたいなものであるが。

 

イエスには、御存じのように有名な弟子が十二人おり、それ以外にもたくさんの弟子、民衆が彼を取り巻いていたのであるが、その誰もがイエスを正しく理解しておらず、イエスは孤独であったと書いている。弟子を含めすべての民衆はイエスをユダヤ王国復活の革命リーダーというようにみており、彼を中心に革命軍を作ろうと考えていた。ところが、イエスには全くその気はなく、彼の頭の中にはただ一つの教え、「神の愛」しかなかった。

 

「幸いなるかな 心貧しき人 天国は彼等のものなればなり ・・・

 幸いなるかな 泣く人 彼等は慰めらるべければなり ・・・」

有名な山上の説教であるが、今でこそこの言葉で感動する人は多いが、この言葉を初めて弟子や民衆に語った時、みんな失望し、イエスをバカにする者まで現われたらしい。つまりこのようなひ弱な言葉で、ローマとの戦いを避ける情けない人と映ったらしい。要するに神の愛というのは民衆にとって言葉だけの世界で、ローマによって迫害、苦しめられている現実を何ら変えるものではなく、弱虫の泣き言のように受け取られた。それは長年連れ添ってきた弟子たちも同じで、つまり誰ひとりとしてイエスの説く神の愛を理解した者はいなかったという。

 

遠藤氏は、聖書に書かれている「奇蹟」に関しても、そんなものはなかったと言いきっている。つまり、眼の見えない人の眼を開けたり、唖がしゃべれるようになったり、歩けなかった人がいきなり歩いたり、病気が治ったり、水の上を歩いたりという「奇蹟」はどこの宗教にも付きもので、この超能力や現実的なご利益で信者になる人がかなりいる。民衆はイエスにそれを期待したが、イエスはそれに対してなにもしなかったと言っている。よし偶然イエスが触れたためになにか奇蹟が起こったとしてもそれは偶然で、イエスが行おうとしていたプログラムや行動とはなんの関係もなかった。

 

病気を治してほしい、治せたら信じてやる。迫害されている人が真っ先に考えるのは迫害している人をやっつけてほしい。民衆とはつまりそんなものである。なぜその人たちは迫害するのかとか、迫害する人たちも含めて人類全体としての問題にまで掘り下げる人はまずいない。

 

イエスは、自分はたった一つのことのためにこの世に使わされてきたと信じていた。それは神の愛を伝えること。それまでの罰や災難を与える恐ろしい神のイメージから、愛のイメージへの転換。どんな人にも、そして恵まれない人には特に暖かく手を差し伸べる神の愛を説いた。ところがその神の愛たるや「奇蹟」を願う民衆には受けがよくなく、ただ手を握って哀しみを共有するというものでは民衆は納得しなかったようだ。そしてひ弱で実行力のないイエスを見て、自分たちのイメージと違っていたことで失望した民衆は、今度は逆にイエスを非難し、詐欺師呼ばわりするようになる。

 

イエスの伝えたかった神の愛は、民衆どころか弟子たちの誰にも実際には理解されず、ゴルゴダの丘で十字架にかけられて処刑される場面でも、有名なイスカリヨテのユダだけでなく、すべての弟子に逃げられ、イエスはみじめで孤独な状態で死ぬ。つまりここまでの物語で言うと、The Endで終わってしまう悲劇なのだ。ところが、御存じのようにその後弟子たちが再び集まり、原始キリスト教団を結成することになる。再び集まった弟子たちは、イエスの生前とは180度違った人格に変わっている。つまり、疑うことなく神の愛を異教徒たちに伝えるために旅をして、ペテロのように何人かは殉教することになる。

 

遠藤氏によるとこのことが、キリスト教最大の謎とのことだ。つまり、イエスの生前には革命軍の司令官としかイエスを見ていなかった弟子たちが、そして彼の処刑と共に彼を裏切り四散してしまった弟子たちが、イエスの死を境に死をも恐れぬくらいの神の愛の伝道者になり、世界中に神の愛を伝えたという事実だ。何が弟子たちをそうさせたのか?このことを「復活」と絡めて説明する学者もいるらしいが、遠藤氏はイエスの「復活」について聖書通りには受け取っていない。三日後にイエスが復活したというのはどうみても作り話に違いないが、それでもそう後世に伝えたくなった大事件があったのではないかと推測している。実はまだその先を読んでいないのでその大事件を遠藤氏が想像しているのかどうかもわからない。

 

丁度いいではないか、この謎を自分なりに考えてみたいとおもう。あなたならどう思いますか?

2013年9月8日日曜日

東京オリンピックおめでとう


本日2020年のオリンピックが東京に決まった。
なんというかまず理屈抜きにうれしい。
日本人は働きバチと言われるが、大きな目標がなければ空回りしてしまうことがある。
大震災や津波、放射能被害から立ち直る具体的な目標ができたというのはとてもすばらしいことだ。

1964年の東京オリンピックのとき、わたしは小学校3年生であった。
兵庫県尼崎市の工場が並ぶ下町で育ったわたしであったが、オリンピックの時の様子はかなり鮮明に覚えている。
前の年に当時夢の超特急と呼ばれた新幹線が東京から新大阪まで開通していたが、東京までオリンピックを見に行くという余裕は我が家にはなかった。
わたしの家は長屋で生まれてからしばらく家の中に水道がなかったのを覚えている。
それでも父は新しもの好きであったため、テレビだけは早く買っていた。

小学校は、オリンピックのために特別に短縮授業を実施しており、授業は午前だけで午後からは家に帰ってテレビでオリンピックを視るように言われた。
ただ当時テレビ(もちろん白黒)を持っている家庭が少なかったので、担任の女の先生が、テレビを持っている生徒の親に、持っていない生徒を家に上がらせてくれるよう頼んでくれていた。
そして当日は子供だけなくその子の親も一緒に上がり込んでオリンピックを視た。

三波春夫さんが東京オリンピック音頭を唄い、振付もあり、それからの盆踊りの定番になった。
オリンピック記念千円硬貨が出た。

64年のオリンピックでは、東京でも外国人がとてもめずらしかった時代で、日本の国際化の幕開けと言われたが、今回は、安倍首相の言葉によると成熟した東京がグローバルビジョンを進めるということである。

同時に開催されるパラリンピックであるが、今まではどちらかというと、オリンピックが終わってからその競技施設を使って行われた。
福祉の意味合いが強いため、パラリンピック独自では運営は難しく、オリンピックと抱き合わせになっている。
でもそのうち、義手や義足、さまざまな人工技術の発展によりパラリンピックの記録が同じ競技のオリンピックの記録を抜く可能性がある。

安倍のミックス饅頭があるくらいだから、オリンピック饅頭もおそらく明日にでも出てくるのではないかと思うと楽しみだ。

2013年7月5日金曜日

オデュッセイア

最近ふとしたことから、ギリシャ文学の古典ホメーロスの「オデュッセイア」を読んでいる。 もちろん日本語版だが。

この物語は、有名な巨大な木馬で知られるトロイヤ戦争の勝者ギリシャ側の英雄オデュッセウスの物語である。

要約すると、英雄オデュッセウスはトロイヤ戦争の帰路さまざまな困難に遭い、20年もの間放浪した後故郷のイタケに帰りつく物語で、故郷では何年も帰ってこないオデュッセウスがすでに死亡したと断じた輩達がオデュッセウスの家に上がり込んでオデュッセウスの妻に求婚し、好き勝手に毎晩宴に興じており、一人息子の成人したテレマコスは、それを見かねてオデュッセウスを探す旅にでるという物語である。

この物語はウィキペディアによると、紀元前8世紀には吟遊詩人によってホメーロスの作としてすでに語られていたと言い、紀元前6世紀に文字で書かれた文学が登場したという。

これが世界の古典と言われるのは、これらホメーロスの作品が叙事詩という文学スタイルの起源となり、その後のギリシャ、ローマ人の教養の基礎となり、現在まで西洋文化に受け継がれていったこと。

またオデュッセウスの放浪譚、それにまつわる事件、人間関係に普遍性が認められ、これ以降の数ある放浪文学の基礎になっていったところにある。

新しいもので言えば、有名なスタンリー・キュービックの映画「2001年宇宙の旅」で、英語の原題を"2001: A Space Odyssey" という。

月で発見された謎の物体が木星に電波を発信しているのを発見した人類は2001年木星に向かって探査機を出発させる。

その探査機では、ギリシャ神話の神とも言える、人口頭脳HALが探査機のすべてのコントールを任されていたが、乗組員がそのHALの異常(故障)を疑うところから、人間といわば神であるHALとの戦いが始まる。


話は変わるが、日本人はギリシャ神話に関しては学校で教えられることはほとんどなく、文学、マンガなどでの断片的な知識に限られていると思う。

ギリシャ神話による神は、ゼウスを頂点に多くの神がいて、神にも親子兄弟親戚関係があり、ヘブライ神話による一神教の神と比べて、人間的な要素が多く含まれており、一神教の神のように完全無欠、オールマイティーという訳にはいかず、間抜けなこともすれば、騙されたりもする。

ただギリシャ神話による神の最も著しい属性というのは、オデュッセイアによると「不死」である者というように受け取ることができる。

このオデュッセイアはまだ読み切っていないが、今後この物語に登場する神々の属性をまとめてみて、いろんな神の属性と比較しようと思っている。




2013年6月20日木曜日

従軍慰安婦の話題もこれで終わりにします

百田尚樹さんの作家デビュー作である「永遠の0」を読んだ。

百田さんは、50歳で作家になるまで、「探偵ナイトスクープ」などの番組の放送作家をしていた。

本人曰く、50歳を期して会社を辞め、作家に転身したのだそうだ。

物語は太平洋戦争時のゼロ戦にまつわるもので、タイトルの0はゼロ戦のことだ。

特に海軍特別攻撃隊、いわゆる特攻のことで印象に残ったことがある。

特攻は志願兵ということになっているが、実際はNo.といえないような雰囲気で、ほとんど強制と言ってもよかったらしい。

もしNoと言えば、今度はその人は、別の形でもっと過酷な目に合されたらしい。(たとえば陸上の最も前線に送られる)

これを聞いて思い出したのが従軍慰安婦問題。

従軍慰安婦は国が強制したことはなく、また拉致や暴力に訴えたこともなかったというのが日本政府の公式見解で、橋下大阪市長もこのことに関しては同意している。

つまり従軍慰安婦は国で主導されたことはなく、あくまでも民間の問題であったと。

でもこの話はなにかとても政治くさい。

戦争時に慰安所を作るのは、民間人かもしれないが国である軍隊がその経営や、リクルート、女性の管理業務などに一切かかわりあっていないというのは、常識的に無理かあると思う。

たとえば女性が逃げ出さないように軍隊が無言のプレッシャーをかけるというのは十分考えられる。

橋下市長は、慰安婦は当時は必要であったと言い、アメリカ軍にまで日本の風俗を利用したらどうかというように、ある意味で包み隠さず本音で話す人であるのに、この国の責任に関しては日本政府と同じ見解で、軍隊は慰安婦に対して強制したことはないという。

おそらくこの辺りが海外からみれば、橋下さんのバランスがとれていないように見えるのであろう。





2013年5月26日日曜日

信頼関係

橋下大阪市長は、従軍慰安婦問題で窮地に立たされている。

橋下さんは、自分が話した内容が誤った形で報道されたと主張しているが、このコメントではなかなか修復できそうにない。

アメリカ軍に日本の風俗業の活用を働き掛けたことに関してだけは、誤ったことだとして謝罪したが、アメリカの人権団体などから多くの非難が出ており近く予定されている訪米の訪問先もなかなか決まらないという。

この一連の報道で思うのは、信頼関係のことである。

橋下さんは、かつて法律番組「行列のできる法律相談書」のレギュラーであり、ほとんどの日本人は橋下さんのキャラクターである、実行力、最後まであきらめない忍耐力、そして子供をたくさん作った精力、「浮気は1度であれば許される」と発言した危言まですべてを含めて彼の人格を理解していると思う。

良いことも悪いことも理解した上で、この人は、世の中に役立つ、世の中を変える人だという気持ちで多くの人は選挙で投票したと思う。

ところが橋下さんを知らない人たち、とくに外国では、発言、活字がすべてになる。

橋下さんは、ジャーナリストが勝手に解釈して誤報したと言うが、彼のキャラクターを知らない外国のジャーナリストが、記事の内容を全文正確に訳して伝えたとしてもやはり今日の非難は起こったのではないか。

むしろ彼をよく知っている人が彼の発言をフォローしてはじめてなりたつ発言ではないか。漫才でいえばきちんと突っ込みを入れる必要があるのではないか。

次のような例えはいかがであろう。

たとえば、ヒットラーのような独裁者が同じことを言ったらどうであろう。(ただ独裁者はむしろこういう発言に気をつけて、わざと人気を落とすようなことはしないと思うが。)

たとえば、ハリソンフォードが同じことを言ったらどうだろう。

ハリソンフォードをよく理解する人は、彼だったらどこまでが本気で、どこまでが冗談で、たとえかなり極端なことを言っていても、まあ彼の事だからと笑って許してくれると思う。

この信頼関係というのは、意外と世界共通で、たとえば野茂投手が大リーグでデビューしたとき、彼のトラネード投法がボークになるのではないかと問題になったことがあるが、しばらくすると彼の人気もあり、だれもボークだと言わなくなった。大リーグでは野茂投手に限らずこのようなことがよくあり、人気選手になれば許されるのだそうだ。

よく政治家の人気というが、世界的に人気を博し、その人の発言だけでなく、パーソナリティーも世界の人が理解するような政治家がもうそろそろ日本から出てきてほしいのだが。

2013年5月20日月曜日

続従軍慰安婦問題 もしかしたら問題はこういうことではないか?

前回の続きであるが、ふとひらめいたことがある。

橋下市長の従軍慰安婦発言で各国が異常に反応していることに対して、私が気になった個所を朝日デジタル全文から抜粋した。



Q 意に反してであっても、良しとはしないが、必要ではあったということか。

 橋下氏 意に反してか意に即してかは別で、慰安婦制度っていうものは、必要だったということです。それが意に反するかどうかにかかわらず。軍を維持するとか軍の規律を維持するためにはそういうことがその当時は必要だったんでしょうね。
 Q 今は違うということでよいか。

 橋下氏 今はそりゃ認められないでしょ。でも、慰安婦制度じゃなくても、風俗業っていうものは必要だと思いますよ、それは。

 だから僕はあの、沖縄の海兵隊、普天間に行ったときに、司令官の方に、もっと風俗業を活用してほしいっていうふうに言ったんです。そしたら司令官はもう凍り付いたように苦笑いになってしまって。

 米軍ではオフリミッツだと。禁止って言ってるもんですからね。そんな建前みたいなことを言うからおかしくなるんですよと。法律の範囲内で認められてるね、中でね。

 いわゆるそういう性的なエネルギーをある意味合法的に解消できる場所は、日本にあるわけですから、もっと真正面からそういう所を活用してもらわないと、海兵隊のあんな猛者の性的なエネルギーをきちんとコントロールできないじゃないですか。

 建前論じゃなくて、もっとそういう所を活用してくださいよと言ったんですけど、「いやぁそれは、行くなと通達を出しているし、これ以上この話はやめよう」と打ち切られました。

 だって風俗業はあるじゃないですか、認めてるんですから、法律の範囲で。




この風俗業という日本語であるが、日本では性的なサービス以外に、ナイトクラブなどの夜の飲食業、パチンコ、麻雀屋などかなり広い範囲で使われており、風俗業という言葉を大衆の前で言っても英語のProstitutionのような非合法な売春そのものを指すのではなく、もうすこしソフトな響きがする。

ちなみに日本の風俗業は基本的に合法的な職業である。日本では性交を除くそこまでにまで到るプロセスは合法で、最後のところだけが違法ということで、そのきわどいところを越えると違法ということになる。ただほとんどが密室で行われるため、黙って非合法なことをする業者や客がいるのも暗黙の了解のようになっている。

このような事情を含んだ「風俗業」という言葉を各国語に正確に訳すことができるのだろうか?

橋下さんが米軍の司令官に話した「風俗業の活用」というのは、英語でどのように訳されたのだろう。

もし橋下さんが「風俗業の活用」の代わりに「合法売春宿の活用」という言葉を使ったとしたらどうだったろう。

日本語ではかなりニュアンスが違うが英語ではおそらく同じ訳になるのではないか?

橋下さんが日本の風俗業を活用してほしいと言ったときに、米軍の司令官の頭には性交抜きの合法なセックスプレイが頭に浮かんだとは思えない。海兵隊の猛者に寸止めで押えておけというのは、それこそ無理な話だ。

もし橋下さんが、性交も含んだ風俗業として司令官に言ったのであればそれは日本の法律違反で、法律家が法律を知らないということになる。

韓国でも風俗業の訳は、おそらく売春かそれと同等の言葉になると思う。つまり各国の異常な反応の正体は、橋下さんの戦時における歴史観というより、今でも彼が職業としての売春(身売りでない自由意思による)を容認しているということではないかと思える。

余談であるが、不思議なことに先進国ではオーストラリアだけは売春が合法で、株式を上場している売春宿がある。(もちろん業者に対してライセンス発行のための厳しい条件がありますが。)

2013年5月19日日曜日

従軍慰安婦問題

橋下大阪市長の従軍慰安婦発言が波紋を呼んでいる。

5月14日の記者団との一問一答を毎日新聞のウェブサイトで読んだ。

彼の主張をまとめると、従軍慰安制度は第2次世界大戦中は日本軍だけでなく、各国の軍が活用していた。当時はそれが必要であった。

第2次世界大戦から後も、たとえば朝鮮戦争、ベトナム戦争で米軍は活用していたが、現在の規準でいうとそういう制度は許されるものではない。

問題は、軍や政府が国を挙げて慰安婦を暴行脅迫拉致をしたかということであるが、日本国や軍が組織ぐるみで従軍慰安婦制度を作ったという証拠はない。

つまり従軍慰安婦制度は、第2次世界大戦当時は、各国であたりまえの制度であり、日本だけがそのことを現在の規準でどうのこうの言われることに納得いかないということであろう。

ここでわたしが思うことを書いてみる。

彼は弁護士なので、発言そのものは理が立っており、意見を精査するとそんなにおかしいことは言っていないと思う。

たとえばこの発言を飲み屋で橋下さんと飲みながら顔をつきあわせて聞いていたら、なんとなくみんなうなづいて聞いていると思う。

ところが、いったん活字になり、それをサマライズしたりダイジェストしたり、ニュースで短く報道するとなると、そのSummaryは、「橋下市長は従軍慰安婦肯定論者」となるのではないか。

彼は報道機関が正しく彼の意見を伝えなかったと言っているが、彼の発言の全文をしっかりと読む人は少ないだろう。では、彼自身が彼の意見をサマライズするとどうなるのか?

彼はさらに以下の趣旨の発言もしている。

従軍慰安婦制度は現在では認めらないが、だが、たとえばその代わりに現在は風俗業というのがあり、それは合法なので現在では風俗を活用するべできであると。

この意見を聞いた人たちは、要するに橋下さんの発言は、一般論というよりも彼の性癖から出ている発言であり、おそらく彼は故ケネディー大統領のように人一倍性欲が旺盛で、彼自身が己の性欲をコントロールするのが難しいタイプで、たとえば妻とだけ性交渉するというのは難しく、それゆえ自分自身への弁解もあって風俗を肯定していると受ける人もいるであろう。

つまり一連の発言は、彼の性癖の言い訳であり、現在の男性は妻一人で我慢するのが当たり前で、風俗へ通う男性はある意味で情けない男性であると思う人が多いのではないか。

橋下さんの失敗は、すべての男性が彼と同じような性癖を持ち、女性もそのやむを得ない男性の事情を理解すべきであると言ってしまったことにあると思う。

特に韓国の大統領は女性であることから、彼女はもしかしたら橋下さんを助平で下品なリーダーと思ってしまった可能性がある。

女性リーダーの理想の男性は、おそらく故サッチャー元首相の夫のような男性ではないか。

2013年5月11日土曜日

どういう切り口で話しましょうか

かつて、故大島渚監督が討論会などで主張していたことであるが、軍隊というものはその存在そのものが戦争に通じる危険なものであると。

大島渚監督を知らない若い人に少し解説するが、彼は1932年生まれ、今年の1月に亡くなった映画監督で黒澤明監督のように日本だけではなく外国でも有名な監督だ。

反戦を唱える割には激情家で、討論中に興奮し相手を罵倒することもしばしばあった。

その激情家の大島さんが、非武装論を唱えていた、いわば攻撃的非武装中立論であった。

なにが言いたいかというと、彼の主張が現在のどこぞの国にあてはまると感じたからだ。

軍の主な仕事は災害救助ではなく、武器を持って戦うこと、もしくは武器を背景にして敵の侵入を防ぐことである。

祖国を守るためという大名目があるが、国の富が増し、軍に十分な予算が割り振られてくると軍というのは一人歩きを始める。

次の年で予算を削られないよう、仕事を増やして自分たちの仕事が国家にとって必要だというアピールをする。

そして、今の平和は本当の平和ではなく欧米が勝手に作りあげたもので、自分たちはずっと損をしながらも我慢してきたと。

国力がついてきた今、ようやく200年前の屈辱を晴らすときであるということであろう。

軍国化した日本が第2次世界大戦に突入していったことを非難している国が、その後をなぞろうとしているような気がする。

EUのようにヨーロッパの平和のために多くのお金を費やしているのとま逆の行動だ。

2013年5月3日金曜日

日本でこんなことがあるとは

東京の新大久保で先週在日韓国人、在日朝鮮人に対するデモがあった。

すでに各新聞、ネットで大きく報道されているので、内容に関しては説明しないが、私が驚いたのは、ヘイトスピーチと呼ばれる過激な発言、シュプレキコールだ。

相手に対して、「ゴキブリのみなさん」と呼びかけたり、「殺せ」と叫ぶのは、主義主張の前に自ら品格のなさを大衆にさらしているように思える。

見ている人の多くは、ヘイトスピーチを聞いてこのデモを危険なものだと直感し、デモに参加している人たちを憎しみに満ちた過激な人たちという目で見ると思う。

どんなに憎い相手にでも、この人たちがこのようになった背景や同じ人間であるということを踏まえてなんとかお互い共存できないのかと考えるのが品の高さで、愛ある行為だと思うのだが。

韓国や北朝鮮で同じような、場合によってはもっと過激な反日デモが行われているので、日本もそれに黙らないで同じように相手を攻撃するという理屈なのだろうか?

私はこのデモを観るまでは、日本は先進国の仲間で日本ではこの種のヘイトスピーチを伴うものはないと思っていた。

ほとんどの日本人は韓国や北朝鮮で過激なヘイトスピーチを伴うデモを観ても、まだ文化や教育が成熟していないためにこのような過激な行動にでるのだろうという大人の態度を取るものと信じていた。

国が発展し、経済が豊かになればそのうちもっと冷静でグローバールなものの見方ができるようになるだろうと。ところがこのデモを観る限りは、日本が逆行していったように感じた。

どの国の人たちでもヘイトスピーチを叫ぶ人はその行為自体で先ず遠ざけられ、多くの人たちの支持を失う。


デモのきっかけとなった在日韓国人、朝鮮人たちの特権であるが、「これは世界に例をみない差別特権」とスピーチで言っていたがそうではないと思う。

オーストラリアで言えば、私が移住した20年前は、移住してきたばかりの移民者に対して通常の国民よりも多くの特権を与えてくれていた。

移住と言っても私の場合は日本国籍を持ったままで、オーストラリアの永住権を取るというもので、それでいえば在日韓国人の立場と変わりない。

英語がうまく話せない人に無料の教育、移住してきたばかりで仕事がない人は、最初から失業手当がでて、それも日本の生活保護よりかなり高額なもので、それだけでなんとか暮らしていけた。それも仕事がみつかるまで、何年でもくれる。

オーストラリアは英語の国であるが、英語がうまくない人のために無料の電話通訳なとをつけてくれて法的な手続きで差別がないようにしてくれた。

私は、オーストラリアがくれた好意にとても感謝し、この国のためになにかしてあげねばといつも考えている。


デモでは今回が初めてのヘイトスピーチであったが、You Tubeのコメントや、2ちゃんねるなどを読んでいるとかなりの過激な発言がある。

おそらく、今回のデモのように公にヘイトスピーチを叫ぶ人は少なくとも、心の奥で、ヘイトスピーチが渦巻いている人たちはその何十、何百倍もいると思う。

汝の敵を愛せよ。

2013年4月28日日曜日

眠ることと死ぬことと

長い間ブログが書けないでいた。

ブログ用のサーバーが故障したり、インターネットプロバイダ変更に伴うあれこれ、その後採用したGoogle Blogに慣れていないということもあったが、一番の問題は、前にも書いたが、ものには勢いというものがあり、一旦途切れるとなかなか再出発ができないということであろう。

でもはやり自分が思うところのものを記録に残していろいろ意見を聞かせてもらう場所が必要だと思ったので、頑張ってこれからも書いていこうと思う。

よろしく応援お願いします。


さて、再開の1ページから重苦しい題であるが、よく誰かが死んだときに、永遠の眠りというように表現される。

実際に眠っているのと、死んでいるのはざっと見には区別がつかない。

寝ている人はいつかは起きるが、死んだら起きないただそれだけか。



夢について考えてみた。

夢と現実の違いはなにか?

思うに、夢ではなぜか自分がよく三人称で出てくる。

つまり、現実の世界ではドラマを観るように、自分が自分の姿を見ることがないが、なぜか夢の中では自分を第三者の目線から見ている。

見ている自分はどちらかというとカメラやナレーターのような役割だ。

この現象で思い出すのは、立花隆さんが書いた「臨死体験」だ。

臨死とは、死んだのではないか、死ぬ一歩手前まで行ったことで、死にかけて、この世に帰って来た人たちの体験談を集めている。

その中で描かれている様子が、夢で見ると同じように、第三者である自分がドラマのように主人公である自分を観ているというものである。

皆さんは、夢で自分を観ていますか?

そしてその場合、夢で見た自分の顔を覚えているでしょうか?

今の顔でしょうか、それとも若いころの顔でしょうか?

死んだら夢をみないというのは当たり前のことなのでしょうが、もしかしたら死んだらこのような夢を永遠に見続けることはないでしょうか?

胡蝶の夢。








2013年4月15日月曜日

インターネットの問題が解決しました

利用していたインターネットプロバイダーの事業撤退に伴って、新しいプロバイダに変更しました。

ここ数日、弊社のホームページにアクセスできなかったり、メールが宛先不明で戻ったりした可能性があり、深くお詫び申しあげます。

多分もう大丈夫だと思います。(オーストラリアのことですから確信はできませんが)

ようやくインターネットが安定したので、今まで書けなかった日記をこれからはできるだけ数多くつけていこうと思います。

よろしくお願いします。

2013年3月3日日曜日

シドニーの飲食店事情

最近、ひょんなことからシドニーの飲食店経営を調べることになった。

日本のレストランがシドニーで店を出したいということで、マーケット調査を一緒にやった。

シドニーでもニューヨークやロンドンなどの大都市と同じく日本食はブームで、すしだけではなく、最近はラーメン、餃子も人気が出てきている。

昨年の12月6日に「一風堂」がシドニーで開店し、連日大勢のお客さんが入っている。

客の多くはオージー(オーストラリア人の愛称)だ。

一つだけ大きな問題を見つけた。

パート労働者の法定最低賃金が恐ろし高く、最低でも$16(1600円)支払わなければならない。

日本の倍ほどの値段だ。

オーストラリアはかつてイギリスの犯罪者の流刑地であったということもあり、貴族や身分制とは無縁で、労働者、ブルーカラーが幅を利かせている伝統があり、現在の与党も労働党で、その影響もあってかこのような高い賃金設定になっている。

つまり、マクドナルドで大学生のアルバイトが働いてもこのような高賃金がもらえる。

逆にこの高い賃金が小さい規模の会社、レストランの経営を圧迫する。

正直今回の調査でしみじみわかったのは、オーストラリアでは、非常に大手になるか、さもなくば個人経営でいくしかないということだ。

中途半端な人数では、賃金だけでなく、税金や保険料ものしかかり、経営を破滅の道に導くことになる。

またレストランや他の飲食店のほとんどは個人経営か、大手の場合はフランチャイズになる。

なぜ大手がフランチャイズをするかというと、先ほどの賃金の問題がまずあり、レストランによっては、正規の法定最低賃金を払わずごまかしているところもある。

またオージー気質というか、日本のように会社に忠誠を誓うという人は皆無にひとしく、個人主義者の集まりであるから、自分がオーナーにならない限り真面目に働くという気になれないらしい。

つまり、フランチャイズにすると、労務管理をすべてフランチャイズオーナーに任せることができるということでオーストラリアではこのシステムが当たり前のようになっている。

ただフランチャイズの仕組みを作るのに一説では日本円で1億円ともいわれており、弁護士の料金が恐ろしく高いのも一因である。

まあ、シドニーで商売するのは、生半可なことではうまくいかないというのが今回の結論である。

2013年2月17日日曜日

勢いというもの

かつて、忙しいながらもシドニー日記を1週間に1度くらいのペースで書いてきた。

先日、ブログサーバーが壊れたために、このGoogle ブログに変更したのであるが、なかなか書き始めることができなかった。

ものには勢いというものがある。

調子に乗っているときは、次から次へいろんなアイデアが浮かんで自分が天才ではないかと思うことがある。

逆にいまのようにいったん落ち込んで、再開するときは、溝にはまった車のタイヤをみんなで押して元に戻すようなエネルギーがいる。

これはブログに限らない、バブルの時の日本経済と、バブルがはじけた後の日本経済も同じようなものである。

日本経済もようやく政権交代で光が射してきたが、ほんとうに力の限り頑張らねばまた落ちていくのではないかと心配だ。

ボクの人生を振り返ると、これも山あり谷ありのジェットコースターのような人生で、たぶん死ぬまでこんな人生をおくることになると思う。

まあ、自分の生きざまを息子や娘、そして若い人たちにさらして、なにか参考にしてくれたらうれしい。

このGoogle ブログは、前のものと異なり、コメントするときはそのまま匿名で送れないようである。

すみませんが、筆名、匿名で結構ですからGoogleのアカウントを作ってコメントを入れてください。

2013年1月19日土曜日

新シドニー日記、ブログを創刊するにあたって

シドニー日記は、2009年から足掛け4年に渡って書いてきましたが、先日思わぬ事故があって、サーバーが利用できないようになりました。

幸い完全ではないのですが、12年の7月までのバックアップがありましたが、この事故を踏まえて、サーバーを自社サーバーからグーグルサーバに変更しました。

したがって過去のブログやコメントは見えなくなってしまいましたが、新ブログの中で少しずつ人気のあった過去の話題も復活させたいと思っています。

まだ変更したことろで、いろいろ不具合があると思いますが、なにとぞご支援ご協力よろしくお願いします。

サーバー管理人