2013年12月29日日曜日

「The Railway Man」を観て考えたこと




日本で公開されているのかどうか。この物語は第二次世界大戦で日本軍がシンガポールを陥落後、タイとビルマ(現ミャンマー)を繋ぐ泰緬鉄道を捕虜であるイギリス、オーストラリア兵などを使って建設したことが舞台になっている。実話を基にした小説が原作。主人公は、イギリス通信兵捕虜のロマックス。

 

彼は仲間のイギリス兵と共に日本軍の捕虜になり、泰緬鉄道建設に駆り出される。マラリア、コレラなどが蔓延する熱帯のジャングルを切り開いて作る鉄道は困難に困難を極め、また捕虜の扱いも奴隷のような扱いで死者多数を出した。ロマックスは当時若い通信兵で、日本軍に隠れてラジオを組み立てて聞いていたのを発見され、実際はラジオなのに、日本軍から通信機で本国に通信していた疑いがもたれ、拷問され自白を強要される。

 

彼の前には常に日本軍憲兵隊の同じ年頃の通訳である永瀬隆がいて、ロマックスは日本軍の命令を永瀬の口からいつも聞くことになる。当然恨みの矛先は直接接触している永瀬に向けられる。

 

数年後、連合軍の上陸作戦により形勢は逆転し、捕虜は解放され、今度は永瀬達日本兵が捕虜になり、戦争犯罪人として裁かれることになる。連合軍の隊長が永瀬に対し軍の所属と身分を問ったときに、永瀬は、自分は憲兵隊員ではなく、一介の通訳だと答える。

 

戦後、三十年が過ぎたころにイギリスで静かに暮らしていたロマックスがある新聞の記事を目にする。それは、永瀬がタイの戦争博物館で罪滅ぼしとして、ガイドの仕事をしているという記事。そして数年後、ロマックスはタイに出かける。人が周りにいないころを見計らって永瀬と再会したロマックスは隠していた短刀を抜いて永瀬を殺そうとする。永瀬は怯えながらも抵抗せず死ぬ覚悟をする。しかし覚悟をした永瀬をロマックスは、どうしても殺せない。あんなに何十年もトラウマに悩まされ、復讐を誓った相手が目の前にいるのに殺せない・・・

 

ロマックスは妻と共に二度目のタイ訪問をし、永瀬とまた再会する。その時に永瀬から「I’m sorry」という謝罪の言葉を聞き、永瀬を許すことにする。そして、その後二人は親友になり、親睦を深め、その親睦は永瀬がなくなる2011年まで続いた。

 

私がこの映画を観たちょうどその日に、安倍首相の靖国参拝があった。映画では日本軍による英国兵への拷問の場面などが迫力ある映像とサウンドで繰り広げられ、これを観た誰もが旧日本軍の残虐性を再認識したり、新たに発見したりするように思え、ある意味でタイミングが悪い映画だなあと思った。映画が終わって帰るときに、誰かが日本人である私を変な目で見ていないか周りを見渡したくらいである。

 

この映画は戦争の残虐さを描きながら、最終的に和解し、親友となった物語で、映画が終わったときに多くの人たちが拍手したくらい感動の映画であったが、その時に思ったのが、中国や韓国で流れている旧日本軍の物語は、この前半だけで終わっていて、後半のない映画であろうと。同じ戦争を描いても、描く側に相手を許す気持ちがなければ、残虐さを強調してそのまま終わり、観終わった人たちは、残虐な行為をした者たちを憎み復讐を誓う。これを政治家は期待しているのであろう。

 

もちろん旧日本軍だけでなく、似たような戦争の残虐性を扱った映画があり、たとえばナチスドイツを舞台にしたものもたくさんある。ただ、私の知る限り、それらの映画はナチスドイツの残虐さを描きながら、現在のドイツ人と一緒に観てもおかしいことはなく、互いが理解でき、互いにこのような残虐なことを二度と起こさないようにという気持ちにさせる。ところが中国で放送されている旧日本軍を扱った番組は、私は見ていないが、聞くところによると日本人が一緒に観ることができないくらい、一方的に日本の悪口をいい、その悪口の言い方に品性がなく、そしてそれが時代を越えて、現在の日本も戦前の日本と同じだというように思わせようと誘導しているところに問題があると思う。その映画には日本人に対するというより、人間に対するやさしさや愛が欠けており、その目的はとても政治的であると思う。一度実際に観てみたいものだ。

 

さて、私が永瀬隆だったらどうしただろうかと考えてみた。おそらく戦争という抜き差しならぬ環境のなかで、また通訳という一介の身分では、自分の意見を反映されるのがとても難しいと思われる。映画の中でも永瀬はロマックスに対し個人的に恨みを持ったり、特に虐めてやろうと思ったりしていた訳ではない。外国において、外国人捕虜を使って作業させるという命令の基、彼は自分の職務を果たしていただけなのだ。そのことはロマックスも分かっていて、それがゆえに最終的には彼を許したと思う。

 

もし永瀬が、英国やロマックス個人に対して贔屓をして、上官に隠れて特別になにか助けてあげるとか、励ましの言葉をかけてあげるという行為は考えられたか。まず永瀬はロマックス個人をその時はよく知らない。そしてそのような行為は、日本を裏切るような行為であり、余程彼の中で、死を覚悟してでも成し遂げるような確立された精神がなければ上官の命令に逆らってまですることはできなかったと思う。

 

わかりやすい言い方をすれば、彼は普通の人で、淡々と自分の職務を熟しただけなのだ。そもそも外国で外国人を強制的に働かすことに無理があり、それをどうしてもしなければならいない場合、おそらく誰もが旧日本軍のようになってしまうのではないかと想像する。

 

最終的にロマックスが永瀬を許し、その後死ぬまで親友でいたのは、お互いがその立場を認めて、異なる環境ながら、同じ精神を見つけたからであろうと想像する。戦争中はお互い自分の国の名誉のために戦っていた。戦争なのでお互いの利害が異なるが、もし相手を騙したり、罠にかけたりする行為があれば、それはおそらく万人が許せなく、軽蔑するものである。一方スポーツマンシップのようにある一定の許せるルール上で戦った場合、戦争が終わったときに相手の立場を理解する気持ち、つまり自分も相手の立場に立てばそうしていたと思える時に人は許せるのではと想像する。あくまでも想像であるが。

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