2013年9月8日日曜日

東京オリンピックおめでとう


本日2020年のオリンピックが東京に決まった。
なんというかまず理屈抜きにうれしい。
日本人は働きバチと言われるが、大きな目標がなければ空回りしてしまうことがある。
大震災や津波、放射能被害から立ち直る具体的な目標ができたというのはとてもすばらしいことだ。

1964年の東京オリンピックのとき、わたしは小学校3年生であった。
兵庫県尼崎市の工場が並ぶ下町で育ったわたしであったが、オリンピックの時の様子はかなり鮮明に覚えている。
前の年に当時夢の超特急と呼ばれた新幹線が東京から新大阪まで開通していたが、東京までオリンピックを見に行くという余裕は我が家にはなかった。
わたしの家は長屋で生まれてからしばらく家の中に水道がなかったのを覚えている。
それでも父は新しもの好きであったため、テレビだけは早く買っていた。

小学校は、オリンピックのために特別に短縮授業を実施しており、授業は午前だけで午後からは家に帰ってテレビでオリンピックを視るように言われた。
ただ当時テレビ(もちろん白黒)を持っている家庭が少なかったので、担任の女の先生が、テレビを持っている生徒の親に、持っていない生徒を家に上がらせてくれるよう頼んでくれていた。
そして当日は子供だけなくその子の親も一緒に上がり込んでオリンピックを視た。

三波春夫さんが東京オリンピック音頭を唄い、振付もあり、それからの盆踊りの定番になった。
オリンピック記念千円硬貨が出た。

64年のオリンピックでは、東京でも外国人がとてもめずらしかった時代で、日本の国際化の幕開けと言われたが、今回は、安倍首相の言葉によると成熟した東京がグローバルビジョンを進めるということである。

同時に開催されるパラリンピックであるが、今まではどちらかというと、オリンピックが終わってからその競技施設を使って行われた。
福祉の意味合いが強いため、パラリンピック独自では運営は難しく、オリンピックと抱き合わせになっている。
でもそのうち、義手や義足、さまざまな人工技術の発展によりパラリンピックの記録が同じ競技のオリンピックの記録を抜く可能性がある。

安倍のミックス饅頭があるくらいだから、オリンピック饅頭もおそらく明日にでも出てくるのではないかと思うと楽しみだ。

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