2013年5月3日金曜日

日本でこんなことがあるとは

東京の新大久保で先週在日韓国人、在日朝鮮人に対するデモがあった。

すでに各新聞、ネットで大きく報道されているので、内容に関しては説明しないが、私が驚いたのは、ヘイトスピーチと呼ばれる過激な発言、シュプレキコールだ。

相手に対して、「ゴキブリのみなさん」と呼びかけたり、「殺せ」と叫ぶのは、主義主張の前に自ら品格のなさを大衆にさらしているように思える。

見ている人の多くは、ヘイトスピーチを聞いてこのデモを危険なものだと直感し、デモに参加している人たちを憎しみに満ちた過激な人たちという目で見ると思う。

どんなに憎い相手にでも、この人たちがこのようになった背景や同じ人間であるということを踏まえてなんとかお互い共存できないのかと考えるのが品の高さで、愛ある行為だと思うのだが。

韓国や北朝鮮で同じような、場合によってはもっと過激な反日デモが行われているので、日本もそれに黙らないで同じように相手を攻撃するという理屈なのだろうか?

私はこのデモを観るまでは、日本は先進国の仲間で日本ではこの種のヘイトスピーチを伴うものはないと思っていた。

ほとんどの日本人は韓国や北朝鮮で過激なヘイトスピーチを伴うデモを観ても、まだ文化や教育が成熟していないためにこのような過激な行動にでるのだろうという大人の態度を取るものと信じていた。

国が発展し、経済が豊かになればそのうちもっと冷静でグローバールなものの見方ができるようになるだろうと。ところがこのデモを観る限りは、日本が逆行していったように感じた。

どの国の人たちでもヘイトスピーチを叫ぶ人はその行為自体で先ず遠ざけられ、多くの人たちの支持を失う。


デモのきっかけとなった在日韓国人、朝鮮人たちの特権であるが、「これは世界に例をみない差別特権」とスピーチで言っていたがそうではないと思う。

オーストラリアで言えば、私が移住した20年前は、移住してきたばかりの移民者に対して通常の国民よりも多くの特権を与えてくれていた。

移住と言っても私の場合は日本国籍を持ったままで、オーストラリアの永住権を取るというもので、それでいえば在日韓国人の立場と変わりない。

英語がうまく話せない人に無料の教育、移住してきたばかりで仕事がない人は、最初から失業手当がでて、それも日本の生活保護よりかなり高額なもので、それだけでなんとか暮らしていけた。それも仕事がみつかるまで、何年でもくれる。

オーストラリアは英語の国であるが、英語がうまくない人のために無料の電話通訳なとをつけてくれて法的な手続きで差別がないようにしてくれた。

私は、オーストラリアがくれた好意にとても感謝し、この国のためになにかしてあげねばといつも考えている。


デモでは今回が初めてのヘイトスピーチであったが、You Tubeのコメントや、2ちゃんねるなどを読んでいるとかなりの過激な発言がある。

おそらく、今回のデモのように公にヘイトスピーチを叫ぶ人は少なくとも、心の奥で、ヘイトスピーチが渦巻いている人たちはその何十、何百倍もいると思う。

汝の敵を愛せよ。

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