長い間ブログが書けないでいた。
ブログ用のサーバーが故障したり、インターネットプロバイダ変更に伴うあれこれ、その後採用したGoogle Blogに慣れていないということもあったが、一番の問題は、前にも書いたが、ものには勢いというものがあり、一旦途切れるとなかなか再出発ができないということであろう。
でもはやり自分が思うところのものを記録に残していろいろ意見を聞かせてもらう場所が必要だと思ったので、頑張ってこれからも書いていこうと思う。
よろしく応援お願いします。
さて、再開の1ページから重苦しい題であるが、よく誰かが死んだときに、永遠の眠りというように表現される。
実際に眠っているのと、死んでいるのはざっと見には区別がつかない。
寝ている人はいつかは起きるが、死んだら起きないただそれだけか。
夢について考えてみた。
夢と現実の違いはなにか?
思うに、夢ではなぜか自分がよく三人称で出てくる。
つまり、現実の世界ではドラマを観るように、自分が自分の姿を見ることがないが、なぜか夢の中では自分を第三者の目線から見ている。
見ている自分はどちらかというとカメラやナレーターのような役割だ。
この現象で思い出すのは、立花隆さんが書いた「臨死体験」だ。
臨死とは、死んだのではないか、死ぬ一歩手前まで行ったことで、死にかけて、この世に帰って来た人たちの体験談を集めている。
その中で描かれている様子が、夢で見ると同じように、第三者である自分がドラマのように主人公である自分を観ているというものである。
皆さんは、夢で自分を観ていますか?
そしてその場合、夢で見た自分の顔を覚えているでしょうか?
今の顔でしょうか、それとも若いころの顔でしょうか?
死んだら夢をみないというのは当たり前のことなのでしょうが、もしかしたら死んだらこのような夢を永遠に見続けることはないでしょうか?
胡蝶の夢。