2014年10月11日土曜日

私とは何者なのか?(最新の脳科学理論による) その2


本文はその2です。その1を読まれていない方は、次のその1からお読みください。

 
情報とは

意識、無意識の話を先にすすめる前に、情報という言葉について説明する必要がある。情報という言葉は今や当たり前に世の中で使われているが、情報に関係する用語、取り分けビットという情報量単位を初めて考案したのは、アメリカの電気工学、数学者であるクロード・シャノンである。1ビットが情報の最小単位であるというのはおそらくご存知であろうが、このビットという単位はコンピュータだけで使われているのではない、意識、無意識に関しても、脳科学でも、心理学でもビットという単位がよく使われる。例えば、人間の無意識の情報量は毎秒11,000,000ビット以上であるのに対し、毎秒50ビットくらいしか意識は上らないというような研究結果がある。また毎秒10ビット前後だという学者もおり、学説にかなり差がある。

そもそも意識という人の主観に関する情報をどのようにして計測して、インターネットと同じ速度基準のビットに当てはめるのか?そのあたりのことが私はまだ分かっていない。(分かっている人がいたら教えてほしい) たとえば、私が映画を観ているとき、音楽を聞いているとき、本を読んでいるときの毎秒のビット数はどのようにして計るのだろう?

このようにクロード・シャノンによる情報理論は、現在では機械だけではなく、生物や人の心までを計る理論になっている。

 

人類が意識を持ったのはほんの三千年前

人類が意識を持ったのがわずか三千年前であったと言ったのは、アメリカ、プリンストン大学のジュリアン・ジェインズである。1976年の彼の著書である「神々の沈黙」の中でそのように語っている。いきなりそんなこと言われてもなんのことかピンとこなかった方もいるであろう。もう一度いうと三千年までは、誰も意識がなかった。しつこいようだが、気絶していたという意味ではなく、みんな無意識で行動していたということなのだ。ある学者によるとその状態は統合失調症の症状と似ているという。
 
ジェインズによると、人類は紀元前七万年ころに言語を持ち始め、紀元前八千年ころにはおよそ現在のような言語体系が出来ていたという。そして言葉の発達によって、人間の右脳と左脳で差ができてしまった。言語活動を司る左脳は右脳に比べて大きくなり、バランスが崩れ、そしておかしなことが起こった。二分脳と言って、まるで同じ人間の中に二人の人間がいるような感じになった。一人はイメージや音楽などを中心にものを理解する昔からある右脳、もう一人は言葉を使って理解しようとする新しい左脳。最初はこの右脳と左脳のコニュニケーションがうまくとれていなかったみたいで幻聴が聞こえたらしい。つまり左脳は右脳から伝わってくる情報を実際の音として聞いて、それを神様の声だと思ったようだ。
 
誰か分からないけど自分にわからないことをいろいろ教えてくれる人がいて、本当は右脳が教えているのであるが、左脳はそれが誰だかわからないので神様という名前を付けた。一万年くらい前の人たちは、完全な無意識状態から一歩進化して、右脳の神様の声を左脳が聞いて、その声に従って行動していたらしい。しかし三千年前になると、右脳と左脳のコニュニケーションがよくなってきて、二人いた自分が一人に統一されるようになってきた。神様の声も聞こえなくなって、その時に今のような意識が誕生したと言われている。もちろん民族や地域、個人個人で差があり、先に意識を持つようになった人たちから順番に今のような文明を築きはじめた。つまり文明というのは意識のたまものなのだ。
 
しかし意識に芽生えたといっても最初は未発達で三、四歳の子供のようなものだったので多くの人はかえってもっと不安になった。昔は、右脳の神様の声に従っているだけでよかったのに今は、頼りない意識を持った自分が自身でいろいろ判断しないといけなくなった。神様の声が聞こえなくなった人たちは、どうしていいかわからない頼りない自分が不安で不安で、結局神様の声がまだ聞こえている人を探してその人の言うことを聞くことにしたようだ。それがシャーマンと言われた人たち、旧約聖書に出てくるモーゼ等の予言者などだ。この人たちは進化的には遅れていて、神の声、実際には自分の右脳からくる情報がまだ聞こえていた。
 

意識をベースにしたキリスト教


そしてキリストの登場になる。意識と無意識の歴史においてキリスト教は大きな分岐点を残している。それまでの宗教は、飼い主がペットを叱るように、無意識な人たちに対して神が罰を与える宗教であった。それに対しキリストは、人間の意識そのものを改革しようとした。繰り返しになるが、モーゼの十戒に代表されるようにユダヤ教では、人間の行動に対して神が罰を与えることで、人間の行動の規範とした。裏返せば実際に悪いことをしなければ、心で何を思っていても構わないということになる。それに対しキリストは山上の教えにもあるように、実際の行動だけでなく、心で悪いことを考えることも戒めた。正に意識をベースにした宗教の誕生である。

 さてここからが私の想像である。故遠藤周作さんが言われた原始キリスト教最大の謎、キリストの復活である。ここではキリストが生まれ変わったという意味ではない。全ての弟子たちに裏切られ、四散してしまい、孤独のうちで処刑されたキリストの死後、なぜか弟子たちが再び集まり原始キリスト教団を結成する。再び集まった弟子たちは、イエスの生前とは180°違った人格に変わっており、つまり、迷うことなく神の愛を異教徒たちに伝えるために旅をして、ペテロのように1人を除いて全員が殉教する。これがキリスト教最大の謎なのだ。

なぜ弟子たちはあんなに臆病だったのに、キリストの死後急に勇敢になったのか。それは、おそらくキリストをモーゼの様に考えて彼の言葉を神の言葉のように聞いていた弟子たちが、キリストが死ぬことによって急に意識のスイッチが入ったのではないだろうか。さあどうだろう。
 
もうひとつ大胆な想像だが、失楽園にあるように原罪といわれる人類が背負ったものは、この意識と無意識の変化の過程から生まれたのではないかというはどうであろう。
 
つづく

2014年10月6日月曜日

私とは何者なのか?(最新の脳科学理論による) その1


意識と無意識

まず大前提として意識と無意識というのがある。子供に説明するように言えば、意識は起きている状態、無意識は寝ている状態といえる。しかし実際はそんな単純なものではない。普段は心臓の鼓動や呼吸は意識していないので、これらの働きに関しては無意識と言える。ところが何か危険なことがあったり、驚いたりしたときは自分の心臓の鼓動を感じ、息が荒くなっているのを感じる。これは意識していると言える。ただ心臓の鼓動は意識でコントロールするのがむつかしく、速くなった鼓動を落ち着かせるのは、自分が直接心臓に命令できないので、なにか別の方法、たとえば危険ではないと自分に言い聞かせたり、いろんな方法で落ち着かせることによって心臓の高鳴りを抑える。あたかも自分と自分の心臓は異なった生き物のように。

車を運転しているときもどこまで意識を働かせているのか疑問である。ハンドルを切ったりブレーキを踏んでいるのは意識と無意識のどちらかと問われれば、さあどちらなのであろう。ほとんど自分の運転を覚えていないところをみると無意識のように思えるが、目はちゃんと前から来る車や、横切ろうとする人や信号や道路のカーブをみているので、全く無意識ではないであろう。さらに運転しながら音楽を聞いていたり、他のことを考えていたりしているときはどうなのだろう?

こうしてみると、最初に述べたところの意識は起きている状態で、無意識は寝ている状態というのも怪しくなってきた。起きている状態でもぼやっとしていたり、逆にサッカーの試合をしている時のように、頭で判断していては遅いような場面では無意識で動いていることが多い。寝ている状態でも夢を見ているのは、これは意識があるというのかどうか。もうひとつ言うなら死んだ状態は無意識と言えるのだろうか、それとも意識、無意識とは別のカテゴリーを考えるべきなのだろうか。
 
上のようにいろんな例を出してみると、どうも意識と無意識という定義そのものがはっきりとしておらず、人によってカバーする範囲が違っているように感じる。たとえばフロイトは意識にのぼらない人間のドロドロとした負の心の部分を潜在意識(sub-consciousness)と名付けた。潜在意識という言い方は、意識がまず頂点にあって人間を支配しており、その配下に潜在している意識という意味であろうが、最近は無意識の方が意識を支配しているという説が多く、意識に従属しているという意味での潜在意識という言葉はあまり使われない。

最近では無意識の範囲はフロイトの言ったような人間の負の心の部分ばかりでなく、先ほどの心臓や、呼吸などの自律神経系で行われているものや、車の運転やサッカーの試合など通常の生活の中で考えずに行動している部分も含まれている。それからいうと自分が気付いているもの(アウェアネス)だけを意識と呼んで、それ以外のものを全て無意識と呼んでいるような気がする。

また慶応大学の前野隆司教授のように、分類としてアウェアネスという意味での意識と、自分が自分であるということをフィードバックしている自意識を区別して、無意識、意識、自意識という3つのカテゴリーに分類する人もいる。この場合自意識の主体を<私>という記号で表し、覚醒による意識の主体を「私」、無意識と肉体を含めたものを「自分」という記号で表し、それぞれを区別している。

 

意識はリードオンリーか?

前述の前野(以後人名は敬称略名字のみ)によると意識は人間のエピソード記憶と深く結びついており、進化の過程で人類が獲得したエピソード記憶、つまり過去の事件を時系列に覚えておく記憶の副産物として意識が芽生えたと言っている。そしてエピソード記憶が発達するまでは、人類は無意識状態であったと。この意識のない状態で人類がどう暮らしていたかというのを想像するのはよほどの想像力が必要だ。人類から意識を取り除いた状態は、どんな感じでどのように表現すればよいのだろう。皆さんも想像してみてください。そして前野によると、こうやって生まれた意識は、実際は無意識である「自分」が行ったことの情報の内、意識である「私」が知る必要のない情報を大量に消し去ったダイジェスト版を見せられているというのだ。つまり、意識には自由意思というものがなく、すでに終わった行動をアクロバット・リーダーのようなリードオンリーのダイジェスト版で見せられているということになる。このことは、今まで意識があってこそ、自分の自由な意思を行使できると思ってきた多くの人々にショックを与えた。

これに対してアメリカの生理学者であるベンジャミン・リベットは、無意識が意識を支配しているという主張は前野と同じであるが、意識は完全なリードオンリーではなく、無意識に対して唯一行使できるのが拒否権であり、無意識の命令を意識によって拒否だけはできるというのだ。たとえば、かわいい女の子のお尻を触りたいという無意識の欲望があっても、それを実行しないのは意識が持つ拒否権であるという。そして、飲酒やドラッグなどで、意識が薄れるとその拒否権が発令できなくなり、セクハラで逮捕されるということになる。この意識に自由はあるか、あるとしたらどこまであるのかというのは、研究者の間でも意見が分かれており、サイエンス・フィクションのネタになるところである。

 

意識は0.5秒遅れる

前述のリベットが行った有名な実験に、指曲げ実験による意識の時間の遅れがある。どういう実験かというと、ある人が自分の意思で指を曲げようとしたとき、指を曲げようと決意した意識の時点を0秒とすると、実際に指が曲がるのはその0.2秒後であるが、事前に考えて指を曲げようとしたときは、意識の約0.8秒前、発作的に指を曲げた場合でも決意の意識の約0.3秒前に脳の中で準備電位というのが起こることが確認されたというものである。準備電位というのは大雑把に言えば、指を曲げるための無意識のスイッチがスタートした時間である。つまり意識するより前にすでに無意識でスイッチが入っていたということになり、このことが先述した、意識には自由意思というものがないのではないか、ただのリードオンリーではないかという結論に導かれるのだ。ただリベットの場合は、決意の意識が生まれた時点と実際の動きの間に0.2秒の差があり、その間に拒否権を発令できると主張している。

意識が遅れることを裏付けるリベットの別の実験がある。むき出しの人間の脳に電極で刺激を与えて「皮膚に触れられた」というような感覚が生じる時間を計ったものだ。千分の1秒以下のパルスを機関銃のように短い時間で繰り返して人間の脳にあてた。するとそのパルスは0.5秒以上続けないと被験者が意識できないことがわかった。つまり0.5秒未満だと何も感じないのだ。この0.5秒という時間は、先述の指を曲げる実験の準備電位発生から指を動かすまでの時間と対応する。今後もこの0.5秒という時間が登場するので記憶願いたい。

次に脳ではなくて手の皮膚を針で刺激するという実験をした。この場合も物理的に刺激してから被験者の意識にのぼるまでの時間は約0.5秒かかった。ただし手の皮膚は0.02秒後には反応していた。分かり易く言えば針をさされた手は条件反射ですぐにピクっと動いたが、「いたっ!」と言ったのは0.5秒後ということになる。

そしてリベットは上の二つの実験を右手と左手に分けて同時にテストした。右手の刺激の部分をそれに相当する脳の部位に直接電極をあて、左手の刺激に対しては、針で左手の皮膚を刺激して、被験者にどちらの刺激を早く感じたかたずねた。事前の予想では、もし同時に刺激したら、どちらも0.5秒後に同時に感じるはずであった。ところが同時に刺激すると、被験者は針で左手を刺激する方が圧倒的に早かったと言った。そして今度は左手の針の方の刺激を右手より0.4秒遅らせたが、それでも左手の方の刺激が先と言った。

このことでリベットが推測したのは、日常経験する触感などの刺激に対する意識は0.5秒遅れて意識されるにもかかわらず、脳の中でその遅れがなかったかのように時間が繰り上げられていて、被験者にとっては刺激と同時に意識されているように感じることである。つまり被験者ではない第三者である研究者や観察者が時計で計った物理的時間と、被験者の主観的時間は異なるという結論である。なにか相対性理論を聞いているような話だが、この場合はドップラー効果ではなく、単に脳が自分自身を都合のいいように騙しているということだ。この0.5秒の脳のトリックを簡単なテストをして見破る方法はないだろうか?0.5秒というとかなり長い時間で、オリンピック選手なら5mも走れる時間だ。

たとえば、脚気の検査で足がピクッと上に上がるのは、医者が膝の下辺りをポンと叩いたときであるが、叩かれたという意識がのぼった時には、すでに足が上がっているということになる。ただじっと足を見ていたら叩かれた触角情報と目からの視覚情報が混ざってしまい正しい判断ができないので、目をつむって足に刺激を感じたらすぐに目を開けて足がどこにあるかみてみたらどうだろう。ただ目からの情報も意識にのぼるために0.5秒かかるが、その時に見た情報はそのままで0.5秒遅れて意識されるだけなので問題ないように思える。疑わしければ、カメラを用意して、足に刺激を感じた瞬間にシャッターを切って足の写真を撮ってみてはどうだろう。これ以外にも工夫次第でこの0.5秒のトリックを利用した実験が可能と考えられる。皆さんも考えてください。


0.5秒はなんのため?

茂木健一郎著の「脳とクオリア」に0.5秒の謎を解くヒントがあった。人間の脳には数千億といわれるニューロン(脳神経細胞)がある。ニューロンの一つ一つの働きは非常に単純で、スイッチのオン・オフのように活動電位を発生させ、その電気信号をタコの足のように広がった樹状突起を通じて周りのニューロンに伝えている。そしてその電気信号を受け取ったニューロンはさらに周りのニューロンに伝えるという基本的にはそれだけのことなのだが、これが数千億個も集まると、人間のように考え、記憶を持ち、泣いたり笑ったりという感情を持ち、さらに今までみたこともなかった発明までしてしまうことになる。

活動電位がプラスの時を比ゆ的に発火と呼んでいる。そして最初の発火が引き金になり、次々と連動して繋がったニューロンに発火していく。ただあるニューロンに繋がっているすべてのニューロンが発火する訳ではなく、発火するニューロンと、発火させない抑制ニューロンというものがあり、それらが蜘蛛の巣のように絡み合いながらある種の発火パターンを作る。どのニューロンが最終的に連続発火したのかを1つ1つリストアップすることができたら、それがそのまま人間や動物の行動パターンであるという見解である。

もう少し順序立ててまとめると、もし数千億あるニューロンに番号を振ることができたら、ある人間の行動や思索において、どのニューロンが連続発火に関係しているかを調べて、それらのニューロン番号をリストアップしてみる。行動や思索に応じて発火するニューロンの合計数は異なるだろうし、もちろん発火するニューロン番号も違ってくる。このリストアップされた1つの発火グループをクラスターと呼んでいる。たとえばクラスター1は、赤いリンゴを見たときで、どの番号のニューロンが入っているか、クラスター2は、桜が散るのを見た時、どのようなニューロンの番号のものがはいっているか、考えられる限りの行動、思索とそのクラスターのパターンを全て書き出してみる。なにかかつての全ての遺伝子を調べるゲノム計画のような感じだ。そしてクラスター・パターンは、全人類、全動物に共通の行動、思索パターンであると茂木は考えている。つまりクラスター・パターンを脳のスキャナーで読み取れたら、その人が何をして、何を考えているか分かると言うのだ。

そしてこの1つのクラスター・パターンを形造るのには時間がかかる。つまり最初の発火から最後のニューロンの発火が終わる時間は、光のように一瞬ではなく、1秒近くかかることもある。そこで非常に興味深いことであるが、1つのクラスターが完成するまで0.5秒以上かかったものが意識に上ると言われている。逆にクラスター完成が0.5秒以下であれば意識に上らない。これは先述したリベットがむき出しの脳に電極をあてて、0.5秒以上刺激を与えた場合にのみ被験者が刺激を感じたということと完全に符合している。つまり0.5秒という時間は、無意識に入力したものを脳が処理をして、<自分>に必要のない情報を捨て、分かり易い結果を出すのにかかる時間ということである。
 
つづく

2014年1月15日水曜日

宗教のいいとこ取り


うちの家族は、私が無宗教に近い仏教徒、妻がイスラム教徒、息子が無宗教、娘がキリスト教徒である。娘以外は生まれたときの環境がそうだったというだけで、自分で宗教を選んだ訳ではない。

 

娘は小さいころからプロテスタント系の教会に通っていた。オーストラリアという土地で友達のほとんどが教会に通っていたという事情による。私はキリスト教でなく、妻はイスラム教であったが、娘が教会に通うことを止めたりしなかった。

 

その理由は、キリスト教の教えに関して子供の教育によいと考えていたからだ。自由、平等、博愛の精神は一宗教の範囲を超えて全人類に望まれるものだと思う。もちろんキリスト教の歴史を観ると、そんな甘いものではなく、十字軍、魔女裁判など暗い歴史がたくさんある。

 

宗教というのは、頑固じいさんのように、自分の教えを唯一絶対だといい、実際には数々の矛盾があるのにそれを認めない。それゆえに宗教を非難する人は簡単にその矛盾を見つけることができ、多くの矛盾を指摘することで、つまり矛盾律という戦法で宗教の脆弱性を攻める。

 

しかし、宗教者は論理学を学んだことがないのか、数々の矛盾を指摘されてもビクともしない。彼等は到底論理的な世界に生きていないのだ。ちょうどプロレスファンがプロレスは八百長であるとわかっていても、プロレスが始まるとそんな気持ちは吹き飛んで、真剣に応援するようなものだ。つまり宗教者に矛盾律で対決を望んでも無駄だということになる。

 

宗教者がそういう態度であれば、私もそれでいいではないかと思っている。つまり私も宗教の悪い所を無視させていただいて、良いところだけをつまんで信じようと思っている。

 

キリスト教で言えば、全ての人を愛するという精神は信じるが、キリストが神の子で、いろんな奇蹟を起こしたというような話は信じない。イスラム教でいえば、ほとんど共感するところがないが、唯一、一夫多妻はよいところか??

 

私はかつて若気の至りで、宗教の矛盾を突くのが快感であった。大の大人がこんな簡単な論理がわからないのかというように自分が頭がよいということを自慢したかったのだと思う。しかし、宗教を攻撃しても、糠に釘で、なにも起こらず、誰もほめてくれず、私の行為がまるで何もなかったかのように地球は回る。そのうち宗教が悪いのではなく、きっと自分の方が悪いのだと気付く。

 

最近中国で、キリスト教や孔子の教えが復活しているらしい。理由は、共産党政権で否定された宗教によって、人々の道徳や隣人愛などが希薄になり、道端で車にはねられて倒れていた二歳の少女に誰も手を差し伸べなかったという悲しい事件が起こったりしたからだ。マルクスが言った「宗教は麻薬」という言葉を逆手に取れば、宗教がなくなった社会もまた人から愛の心を奪った麻薬社会であったようだ。

 

最近機会があって18歳になった娘に教会通いを許している理由を話したことがある。「お父さんは、キリスト教の全てを信じている訳ではないが、彼の教えた自由、平等、博愛の精神が好きだから許している。だけどもそれ以外はほとんどつまらぬことだと思っている。父が本当に望むのは、キリスト教がなくても、お前が自分でキリストのような愛の精神を持つ人になることである。」

2014年1月4日土曜日

日本人が気付かない日本人の弱点

海外に出てみないと日本や日本人のことが分からないことがあるとよく言われる。確かに日本に限らずどこの国でも、その国の人が書いたその国の紹介より、外国人が書いた物の方が面白く、場合によってはより的を得ているように思う。

 

日本人は大人しく、遠慮深く、丁寧でマナーがよいという評判がある。私の記憶によれば、そのように言ってくれたのはいわゆる西洋人よりもアジア人の方が多かった。なぜアジア人かというと西洋諸国に比べてアジアの国々の中で、あつかましく、丁寧でなく、マナーが悪い人たちが比較的多くいたからであろう。また日本は他のアジアの国々と比べて犯罪率が少ないというのもそれを証明しているといえる。最近日本人で海外に留学したり、海外で就職したりする人が少なくなっているというのも、よいように取ればその人たちは日本が一番いいと思っていて、なにもわざわざいやな目に遭いに海外に行くこともあるまいということではないか。

 

では、日本に留学している外国人や留学生は日本や日本人のことをどう思っているのであろう。私は四十年程前にボランティアで留学生に日本語を教えたことがある。当時はまだ日本で外国人が珍しかったころのことである。アジアから来た留学生たちは、日本の安全性や日本人の親切に感謝しながらもいろんな問題を抱えていた。

 

おそらくお金の問題、言葉の問題が問題の一番と二番を占めるであろうが、これら二つの問題はどこの国でもある問題で、特に取り立てて私がみんなに知ってほしいこととは異なる。日本人や日本文化と関連した問題に絞って言及したい。

 

当時私が留学生に聞いたことで、なかなか日本人の友達ができないということがあった。日本人は初めての人に心を開くことはなく、何度も会っている割にはいつまでもよそよそしいと感じている留学生が多かった。比較的あけっぴろげな性格な人が多いと言われる大阪でもこんなものだから、他の地域ではもっとひどいことになっていたのではと想像する。

 

以前日本のどこだったか忘れたが、タイから日本の中(高?)学校に派遣された女性の教師がまわりの先生から誰も話しかけられることなく、二カ月程でノイローゼになって帰国したという話を聞いた。詳細がわからず、どこまでが本当かもわからないが、十分考えられることだと思った。

 

簡単に言ってしまえば、「日本人は冷たい」ということになる。悪いことはしないが、よいことも積極的にしない。なぜだろうか?いろんなことが考えられる。

 

1つは、遠慮しすぎ。本当はいろいろ親切にしたいと思っていても、なかなか行動に移せない、恥ずかしがり屋の日本人。

 

1つは、面倒くさがり屋の日本人。外人どころが、新しいことそのものに興味がない。

 

1つは、日本がお金持ちになり、お金持ち特有の保守性。たとえば誰かが自分の財産を奪うのではないか、自分に言い寄って来る人は自分の財産、お金目当てではないか、お金ではないとしても相手に対してこちらから何かしてあげることだけで、自分に利益をもたらすことはない、と考える日本人。商社マンなど海外で働くビジネスマンに多い。

 

1つは、天性の気質。たとえば初めて会った人に対してどういう接し方をするのかというのを観察したとき、大きく二つのタイプに分かれる。相手を仲間と思うタイプ。相手を敵だと思うタイプ。もちろん接する相手によりその人の感じ方も異なるのは確かだか、その人の生まれながらの気質によって、どちらかのタイプに偏ったデフォルトを持っているのではないかと私は考える。分かり易い例をあげれば、宇宙人が円盤に乗ってやってきたとき、その宇宙人を平和の使者として歓迎するのか、地球を滅ぼそうとしてやってきたエイリアンと思って攻撃準備を整えるかということである。日本人の平均デフォルトは、どちらかとおうと後者の方に振れているような気がする。(唯一、大阪人は前者に振れているかも)

 

もちろんその後の教育や環境の変化でそのレベルは右に左に変化する。昔よく言われたのは、日本人は白人には親切で、アジア人、黒人には警戒するというものだ。つまり、白人社会は産業を高度に発展させた高い文明社会を誇り、民主主義、レディーズファーストやスポーツマンシップに見られるような平等観、弱者に対して親切であるという文化が発達しており、多くの日本人が自分たちもそれに習いたいという尊敬の念があるからであろう。

 

もちろんそれは非常に大雑把な分類であって、実際にはマナーの悪い白人、素晴らしいスピリットを持ったアジア人や黒人も多くいる。ところが外国人に接することが少なかった日本人は、誰が素晴らしい人でだれがインチキのほら吹き野郎なのかということを自分で判断する訓練を日本国内にいるときは受けていないし、そのような機会さえなかった人が多い。

 

それに対し、民族の行き来が多いアメリカ、オーストラリア、シンガポールなどの諸国では、普段から訓練が行き届いており、この地域で育った日本人も、現地の人と同じように人との接触の仕方がこなれており、相手がどのような人なのかほぼ会ってすぐに判断できる人が多い。

 

あと、日本の挨拶のことに関して考えてみたい。日本人同士では、ほとんどの人がお辞儀をする。親戚同士や親しい友人ともお辞儀が挨拶である。私はオーストラリアに住んでいるが、オーストラリアの挨拶は握手と思っている人が多いであろうが、それはビジネスの挨拶であって、親戚同士や親しい友達とは、男性同士は握手であるが、異性や女性同士の場合はハグに頬キスである。最近は初めて会った人でもそうする人が多い。かく言う私も最初は慣れなかったが今は平気だ。ただどうしても日本人同士になると恥ずかしくなりお辞儀で終わってしまう。

 

挨拶の仕方は上の方法だけでなく、お辞儀でも片手を上げるお辞儀、インド式に手を合わせるもの、握手も軽く握るものから堅く握るもの、キスも頬から口にするもの、ロシア式のように男同士で唇を重ねるもの(これを気色悪いと言ってはいけない)、ハグをしないでキスだけするものなど様々である。これらの挨拶の仕方を構造論で捕えると、肉体の接触度というように言えるのではないか。

 

握手すると相手の手の握り加減で親しさが分かるような気がする、またその時に相手の体温が自分に伝わって相手が命あるものであるということを実感する。キスすると唇や頬の感触から相手と心が通ったような気になる。ハグするとなにか相手の背負っている文化や、苦しみ哀しみがわかるような気がする。要するに肉体的な接触を多くすることによって相手のことをもっと理解でき、また逆に相手をもっと理解しようとすると、肉体的な接触が必要になるように思う。

 

日本人は西洋文化をいち早く取り入れてきた割には、この相手と肉体的に接触する文化はなかなか受け入れられない。なぜだろう? いろんな理由が考えられると思うが、私が特に感じたのは日本の縦社会構造である。日本では年長者を尊敬し、歳が一つでも異なれば、挨拶の仕方も言葉遣いも異なる。これを日本人は美徳と思っている。

 

華やかでグローバルな雰囲気を漂わせている日本の芸能界では、今でも先輩後輩の順列が厳しく定められ、挨拶は後輩からして、先輩はそれをえらそうに受けるという構えである。あの華やかな宝塚でも伝統的にそれを守り抜いている。およそ海外にいる日本人ならピンとくると思うのであるが、日本人同士で初めて会った時は外国人にあったときよりももっとよそよそしく、最初から心を開く人は少なく、丁寧なものの言い方にくるめて相手の年齢や相手の職業、地位などを聞き出して、これからこの人とどのような接し方をすれよいのか考えている。

 

私が客先の日本企業に新年の挨拶に行った時、成人した息子とたまたま一緒だったので、そのまま担当の方に会って挨拶した。担当者は、息子にも丁寧に挨拶して敬語を使っていたが、彼が私の息子と分かると、「なーんだ」と言い、それから上から目線で、先輩面をし、彼を君付けで呼んだ。おそらくそれが日本の常識なのだろうが、その担当者の豹変ぶりをビデオに取って英語のスーパーを付けて、YouTubeで流して世界の人にどう思うか問ってみたかった。

 

例が長くなったが、私が思う、日本人がキスをしたり、ハグをしたりしない大きな理由は、この平等観の欠如によるものではないかと思っている。私からみるとこれは日本人の美徳ではなく弱点であり、これからのグローバル社会で生きていくための障害になると思う。

2013年12月29日日曜日

「The Railway Man」を観て考えたこと




日本で公開されているのかどうか。この物語は第二次世界大戦で日本軍がシンガポールを陥落後、タイとビルマ(現ミャンマー)を繋ぐ泰緬鉄道を捕虜であるイギリス、オーストラリア兵などを使って建設したことが舞台になっている。実話を基にした小説が原作。主人公は、イギリス通信兵捕虜のロマックス。

 

彼は仲間のイギリス兵と共に日本軍の捕虜になり、泰緬鉄道建設に駆り出される。マラリア、コレラなどが蔓延する熱帯のジャングルを切り開いて作る鉄道は困難に困難を極め、また捕虜の扱いも奴隷のような扱いで死者多数を出した。ロマックスは当時若い通信兵で、日本軍に隠れてラジオを組み立てて聞いていたのを発見され、実際はラジオなのに、日本軍から通信機で本国に通信していた疑いがもたれ、拷問され自白を強要される。

 

彼の前には常に日本軍憲兵隊の同じ年頃の通訳である永瀬隆がいて、ロマックスは日本軍の命令を永瀬の口からいつも聞くことになる。当然恨みの矛先は直接接触している永瀬に向けられる。

 

数年後、連合軍の上陸作戦により形勢は逆転し、捕虜は解放され、今度は永瀬達日本兵が捕虜になり、戦争犯罪人として裁かれることになる。連合軍の隊長が永瀬に対し軍の所属と身分を問ったときに、永瀬は、自分は憲兵隊員ではなく、一介の通訳だと答える。

 

戦後、三十年が過ぎたころにイギリスで静かに暮らしていたロマックスがある新聞の記事を目にする。それは、永瀬がタイの戦争博物館で罪滅ぼしとして、ガイドの仕事をしているという記事。そして数年後、ロマックスはタイに出かける。人が周りにいないころを見計らって永瀬と再会したロマックスは隠していた短刀を抜いて永瀬を殺そうとする。永瀬は怯えながらも抵抗せず死ぬ覚悟をする。しかし覚悟をした永瀬をロマックスは、どうしても殺せない。あんなに何十年もトラウマに悩まされ、復讐を誓った相手が目の前にいるのに殺せない・・・

 

ロマックスは妻と共に二度目のタイ訪問をし、永瀬とまた再会する。その時に永瀬から「I’m sorry」という謝罪の言葉を聞き、永瀬を許すことにする。そして、その後二人は親友になり、親睦を深め、その親睦は永瀬がなくなる2011年まで続いた。

 

私がこの映画を観たちょうどその日に、安倍首相の靖国参拝があった。映画では日本軍による英国兵への拷問の場面などが迫力ある映像とサウンドで繰り広げられ、これを観た誰もが旧日本軍の残虐性を再認識したり、新たに発見したりするように思え、ある意味でタイミングが悪い映画だなあと思った。映画が終わって帰るときに、誰かが日本人である私を変な目で見ていないか周りを見渡したくらいである。

 

この映画は戦争の残虐さを描きながら、最終的に和解し、親友となった物語で、映画が終わったときに多くの人たちが拍手したくらい感動の映画であったが、その時に思ったのが、中国や韓国で流れている旧日本軍の物語は、この前半だけで終わっていて、後半のない映画であろうと。同じ戦争を描いても、描く側に相手を許す気持ちがなければ、残虐さを強調してそのまま終わり、観終わった人たちは、残虐な行為をした者たちを憎み復讐を誓う。これを政治家は期待しているのであろう。

 

もちろん旧日本軍だけでなく、似たような戦争の残虐性を扱った映画があり、たとえばナチスドイツを舞台にしたものもたくさんある。ただ、私の知る限り、それらの映画はナチスドイツの残虐さを描きながら、現在のドイツ人と一緒に観てもおかしいことはなく、互いが理解でき、互いにこのような残虐なことを二度と起こさないようにという気持ちにさせる。ところが中国で放送されている旧日本軍を扱った番組は、私は見ていないが、聞くところによると日本人が一緒に観ることができないくらい、一方的に日本の悪口をいい、その悪口の言い方に品性がなく、そしてそれが時代を越えて、現在の日本も戦前の日本と同じだというように思わせようと誘導しているところに問題があると思う。その映画には日本人に対するというより、人間に対するやさしさや愛が欠けており、その目的はとても政治的であると思う。一度実際に観てみたいものだ。

 

さて、私が永瀬隆だったらどうしただろうかと考えてみた。おそらく戦争という抜き差しならぬ環境のなかで、また通訳という一介の身分では、自分の意見を反映されるのがとても難しいと思われる。映画の中でも永瀬はロマックスに対し個人的に恨みを持ったり、特に虐めてやろうと思ったりしていた訳ではない。外国において、外国人捕虜を使って作業させるという命令の基、彼は自分の職務を果たしていただけなのだ。そのことはロマックスも分かっていて、それがゆえに最終的には彼を許したと思う。

 

もし永瀬が、英国やロマックス個人に対して贔屓をして、上官に隠れて特別になにか助けてあげるとか、励ましの言葉をかけてあげるという行為は考えられたか。まず永瀬はロマックス個人をその時はよく知らない。そしてそのような行為は、日本を裏切るような行為であり、余程彼の中で、死を覚悟してでも成し遂げるような確立された精神がなければ上官の命令に逆らってまですることはできなかったと思う。

 

わかりやすい言い方をすれば、彼は普通の人で、淡々と自分の職務を熟しただけなのだ。そもそも外国で外国人を強制的に働かすことに無理があり、それをどうしてもしなければならいない場合、おそらく誰もが旧日本軍のようになってしまうのではないかと想像する。

 

最終的にロマックスが永瀬を許し、その後死ぬまで親友でいたのは、お互いがその立場を認めて、異なる環境ながら、同じ精神を見つけたからであろうと想像する。戦争中はお互い自分の国の名誉のために戦っていた。戦争なのでお互いの利害が異なるが、もし相手を騙したり、罠にかけたりする行為があれば、それはおそらく万人が許せなく、軽蔑するものである。一方スポーツマンシップのようにある一定の許せるルール上で戦った場合、戦争が終わったときに相手の立場を理解する気持ち、つまり自分も相手の立場に立てばそうしていたと思える時に人は許せるのではと想像する。あくまでも想像であるが。

2013年12月25日水曜日

「イエスの生涯」を読みながら


クリスマスが近いある日、次の仕事まで時間が余っていたためになんとなく寄ったシドニー市内にある「ほんだらけ」という日本の古本屋さんで、「イエスの生涯」という本に出会った。イエス・キリストの生涯に関して今まで本(新約聖書を含む)を読んだり映画で観たりして粗筋は分かっていたのだが、なにか信者としてではなく、歴史書として、哲学書として読んでみたいという気持ちがありそういう本を探していた。

 

著者の故遠藤周作さんはクリスチャンで、そういう意味では信者が書いた宗教書なのかも知れない。しかし生前の彼の他の作品を読んだことのある私としては、きっと聖書のような宗教書ではなく、彼なりのウィットにとんだ人間臭い物語だろうと想像して本を買った。そして読むにつれて、この本はキリスト教を宣伝する本ではなく、遠藤氏の真実を知りたいという気持ちが込められた歴史書だということがひしひしと伝わってきた。まだ本の半分程しか読んでいないが、自分の感動を忘れないうちに書きとめたいという気持ちがこれを書かせている。

 

まず文章で気付いたのであるが、遠藤氏はクリスチャンなので、イエスのことを書くときは敬語を使っている。それが読み物として読んでいる私としてはなにか偏った文章に思え気持ちがよくない。つまり私としては新聞の記事のように自分とイエスとの関係を突き放して客観的に淡々と書いてほしかった。ただ不思議なことにイエスのことはイエス様とは書かずここはイエスと書いている。まあこれから語ることに比べればこのことはつまらぬことで、落語の枕みたいなものであるが。

 

イエスには、御存じのように有名な弟子が十二人おり、それ以外にもたくさんの弟子、民衆が彼を取り巻いていたのであるが、その誰もがイエスを正しく理解しておらず、イエスは孤独であったと書いている。弟子を含めすべての民衆はイエスをユダヤ王国復活の革命リーダーというようにみており、彼を中心に革命軍を作ろうと考えていた。ところが、イエスには全くその気はなく、彼の頭の中にはただ一つの教え、「神の愛」しかなかった。

 

「幸いなるかな 心貧しき人 天国は彼等のものなればなり ・・・

 幸いなるかな 泣く人 彼等は慰めらるべければなり ・・・」

有名な山上の説教であるが、今でこそこの言葉で感動する人は多いが、この言葉を初めて弟子や民衆に語った時、みんな失望し、イエスをバカにする者まで現われたらしい。つまりこのようなひ弱な言葉で、ローマとの戦いを避ける情けない人と映ったらしい。要するに神の愛というのは民衆にとって言葉だけの世界で、ローマによって迫害、苦しめられている現実を何ら変えるものではなく、弱虫の泣き言のように受け取られた。それは長年連れ添ってきた弟子たちも同じで、つまり誰ひとりとしてイエスの説く神の愛を理解した者はいなかったという。

 

遠藤氏は、聖書に書かれている「奇蹟」に関しても、そんなものはなかったと言いきっている。つまり、眼の見えない人の眼を開けたり、唖がしゃべれるようになったり、歩けなかった人がいきなり歩いたり、病気が治ったり、水の上を歩いたりという「奇蹟」はどこの宗教にも付きもので、この超能力や現実的なご利益で信者になる人がかなりいる。民衆はイエスにそれを期待したが、イエスはそれに対してなにもしなかったと言っている。よし偶然イエスが触れたためになにか奇蹟が起こったとしてもそれは偶然で、イエスが行おうとしていたプログラムや行動とはなんの関係もなかった。

 

病気を治してほしい、治せたら信じてやる。迫害されている人が真っ先に考えるのは迫害している人をやっつけてほしい。民衆とはつまりそんなものである。なぜその人たちは迫害するのかとか、迫害する人たちも含めて人類全体としての問題にまで掘り下げる人はまずいない。

 

イエスは、自分はたった一つのことのためにこの世に使わされてきたと信じていた。それは神の愛を伝えること。それまでの罰や災難を与える恐ろしい神のイメージから、愛のイメージへの転換。どんな人にも、そして恵まれない人には特に暖かく手を差し伸べる神の愛を説いた。ところがその神の愛たるや「奇蹟」を願う民衆には受けがよくなく、ただ手を握って哀しみを共有するというものでは民衆は納得しなかったようだ。そしてひ弱で実行力のないイエスを見て、自分たちのイメージと違っていたことで失望した民衆は、今度は逆にイエスを非難し、詐欺師呼ばわりするようになる。

 

イエスの伝えたかった神の愛は、民衆どころか弟子たちの誰にも実際には理解されず、ゴルゴダの丘で十字架にかけられて処刑される場面でも、有名なイスカリヨテのユダだけでなく、すべての弟子に逃げられ、イエスはみじめで孤独な状態で死ぬ。つまりここまでの物語で言うと、The Endで終わってしまう悲劇なのだ。ところが、御存じのようにその後弟子たちが再び集まり、原始キリスト教団を結成することになる。再び集まった弟子たちは、イエスの生前とは180度違った人格に変わっている。つまり、疑うことなく神の愛を異教徒たちに伝えるために旅をして、ペテロのように何人かは殉教することになる。

 

遠藤氏によるとこのことが、キリスト教最大の謎とのことだ。つまり、イエスの生前には革命軍の司令官としかイエスを見ていなかった弟子たちが、そして彼の処刑と共に彼を裏切り四散してしまった弟子たちが、イエスの死を境に死をも恐れぬくらいの神の愛の伝道者になり、世界中に神の愛を伝えたという事実だ。何が弟子たちをそうさせたのか?このことを「復活」と絡めて説明する学者もいるらしいが、遠藤氏はイエスの「復活」について聖書通りには受け取っていない。三日後にイエスが復活したというのはどうみても作り話に違いないが、それでもそう後世に伝えたくなった大事件があったのではないかと推測している。実はまだその先を読んでいないのでその大事件を遠藤氏が想像しているのかどうかもわからない。

 

丁度いいではないか、この謎を自分なりに考えてみたいとおもう。あなたならどう思いますか?

2013年9月8日日曜日

東京オリンピックおめでとう


本日2020年のオリンピックが東京に決まった。
なんというかまず理屈抜きにうれしい。
日本人は働きバチと言われるが、大きな目標がなければ空回りしてしまうことがある。
大震災や津波、放射能被害から立ち直る具体的な目標ができたというのはとてもすばらしいことだ。

1964年の東京オリンピックのとき、わたしは小学校3年生であった。
兵庫県尼崎市の工場が並ぶ下町で育ったわたしであったが、オリンピックの時の様子はかなり鮮明に覚えている。
前の年に当時夢の超特急と呼ばれた新幹線が東京から新大阪まで開通していたが、東京までオリンピックを見に行くという余裕は我が家にはなかった。
わたしの家は長屋で生まれてからしばらく家の中に水道がなかったのを覚えている。
それでも父は新しもの好きであったため、テレビだけは早く買っていた。

小学校は、オリンピックのために特別に短縮授業を実施しており、授業は午前だけで午後からは家に帰ってテレビでオリンピックを視るように言われた。
ただ当時テレビ(もちろん白黒)を持っている家庭が少なかったので、担任の女の先生が、テレビを持っている生徒の親に、持っていない生徒を家に上がらせてくれるよう頼んでくれていた。
そして当日は子供だけなくその子の親も一緒に上がり込んでオリンピックを視た。

三波春夫さんが東京オリンピック音頭を唄い、振付もあり、それからの盆踊りの定番になった。
オリンピック記念千円硬貨が出た。

64年のオリンピックでは、東京でも外国人がとてもめずらしかった時代で、日本の国際化の幕開けと言われたが、今回は、安倍首相の言葉によると成熟した東京がグローバルビジョンを進めるということである。

同時に開催されるパラリンピックであるが、今まではどちらかというと、オリンピックが終わってからその競技施設を使って行われた。
福祉の意味合いが強いため、パラリンピック独自では運営は難しく、オリンピックと抱き合わせになっている。
でもそのうち、義手や義足、さまざまな人工技術の発展によりパラリンピックの記録が同じ競技のオリンピックの記録を抜く可能性がある。

安倍のミックス饅頭があるくらいだから、オリンピック饅頭もおそらく明日にでも出てくるのではないかと思うと楽しみだ。