2013年5月26日日曜日

信頼関係

橋下大阪市長は、従軍慰安婦問題で窮地に立たされている。

橋下さんは、自分が話した内容が誤った形で報道されたと主張しているが、このコメントではなかなか修復できそうにない。

アメリカ軍に日本の風俗業の活用を働き掛けたことに関してだけは、誤ったことだとして謝罪したが、アメリカの人権団体などから多くの非難が出ており近く予定されている訪米の訪問先もなかなか決まらないという。

この一連の報道で思うのは、信頼関係のことである。

橋下さんは、かつて法律番組「行列のできる法律相談書」のレギュラーであり、ほとんどの日本人は橋下さんのキャラクターである、実行力、最後まであきらめない忍耐力、そして子供をたくさん作った精力、「浮気は1度であれば許される」と発言した危言まですべてを含めて彼の人格を理解していると思う。

良いことも悪いことも理解した上で、この人は、世の中に役立つ、世の中を変える人だという気持ちで多くの人は選挙で投票したと思う。

ところが橋下さんを知らない人たち、とくに外国では、発言、活字がすべてになる。

橋下さんは、ジャーナリストが勝手に解釈して誤報したと言うが、彼のキャラクターを知らない外国のジャーナリストが、記事の内容を全文正確に訳して伝えたとしてもやはり今日の非難は起こったのではないか。

むしろ彼をよく知っている人が彼の発言をフォローしてはじめてなりたつ発言ではないか。漫才でいえばきちんと突っ込みを入れる必要があるのではないか。

次のような例えはいかがであろう。

たとえば、ヒットラーのような独裁者が同じことを言ったらどうであろう。(ただ独裁者はむしろこういう発言に気をつけて、わざと人気を落とすようなことはしないと思うが。)

たとえば、ハリソンフォードが同じことを言ったらどうだろう。

ハリソンフォードをよく理解する人は、彼だったらどこまでが本気で、どこまでが冗談で、たとえかなり極端なことを言っていても、まあ彼の事だからと笑って許してくれると思う。

この信頼関係というのは、意外と世界共通で、たとえば野茂投手が大リーグでデビューしたとき、彼のトラネード投法がボークになるのではないかと問題になったことがあるが、しばらくすると彼の人気もあり、だれもボークだと言わなくなった。大リーグでは野茂投手に限らずこのようなことがよくあり、人気選手になれば許されるのだそうだ。

よく政治家の人気というが、世界的に人気を博し、その人の発言だけでなく、パーソナリティーも世界の人が理解するような政治家がもうそろそろ日本から出てきてほしいのだが。

2013年5月20日月曜日

続従軍慰安婦問題 もしかしたら問題はこういうことではないか?

前回の続きであるが、ふとひらめいたことがある。

橋下市長の従軍慰安婦発言で各国が異常に反応していることに対して、私が気になった個所を朝日デジタル全文から抜粋した。



Q 意に反してであっても、良しとはしないが、必要ではあったということか。

 橋下氏 意に反してか意に即してかは別で、慰安婦制度っていうものは、必要だったということです。それが意に反するかどうかにかかわらず。軍を維持するとか軍の規律を維持するためにはそういうことがその当時は必要だったんでしょうね。
 Q 今は違うということでよいか。

 橋下氏 今はそりゃ認められないでしょ。でも、慰安婦制度じゃなくても、風俗業っていうものは必要だと思いますよ、それは。

 だから僕はあの、沖縄の海兵隊、普天間に行ったときに、司令官の方に、もっと風俗業を活用してほしいっていうふうに言ったんです。そしたら司令官はもう凍り付いたように苦笑いになってしまって。

 米軍ではオフリミッツだと。禁止って言ってるもんですからね。そんな建前みたいなことを言うからおかしくなるんですよと。法律の範囲内で認められてるね、中でね。

 いわゆるそういう性的なエネルギーをある意味合法的に解消できる場所は、日本にあるわけですから、もっと真正面からそういう所を活用してもらわないと、海兵隊のあんな猛者の性的なエネルギーをきちんとコントロールできないじゃないですか。

 建前論じゃなくて、もっとそういう所を活用してくださいよと言ったんですけど、「いやぁそれは、行くなと通達を出しているし、これ以上この話はやめよう」と打ち切られました。

 だって風俗業はあるじゃないですか、認めてるんですから、法律の範囲で。




この風俗業という日本語であるが、日本では性的なサービス以外に、ナイトクラブなどの夜の飲食業、パチンコ、麻雀屋などかなり広い範囲で使われており、風俗業という言葉を大衆の前で言っても英語のProstitutionのような非合法な売春そのものを指すのではなく、もうすこしソフトな響きがする。

ちなみに日本の風俗業は基本的に合法的な職業である。日本では性交を除くそこまでにまで到るプロセスは合法で、最後のところだけが違法ということで、そのきわどいところを越えると違法ということになる。ただほとんどが密室で行われるため、黙って非合法なことをする業者や客がいるのも暗黙の了解のようになっている。

このような事情を含んだ「風俗業」という言葉を各国語に正確に訳すことができるのだろうか?

橋下さんが米軍の司令官に話した「風俗業の活用」というのは、英語でどのように訳されたのだろう。

もし橋下さんが「風俗業の活用」の代わりに「合法売春宿の活用」という言葉を使ったとしたらどうだったろう。

日本語ではかなりニュアンスが違うが英語ではおそらく同じ訳になるのではないか?

橋下さんが日本の風俗業を活用してほしいと言ったときに、米軍の司令官の頭には性交抜きの合法なセックスプレイが頭に浮かんだとは思えない。海兵隊の猛者に寸止めで押えておけというのは、それこそ無理な話だ。

もし橋下さんが、性交も含んだ風俗業として司令官に言ったのであればそれは日本の法律違反で、法律家が法律を知らないということになる。

韓国でも風俗業の訳は、おそらく売春かそれと同等の言葉になると思う。つまり各国の異常な反応の正体は、橋下さんの戦時における歴史観というより、今でも彼が職業としての売春(身売りでない自由意思による)を容認しているということではないかと思える。

余談であるが、不思議なことに先進国ではオーストラリアだけは売春が合法で、株式を上場している売春宿がある。(もちろん業者に対してライセンス発行のための厳しい条件がありますが。)

2013年5月19日日曜日

従軍慰安婦問題

橋下大阪市長の従軍慰安婦発言が波紋を呼んでいる。

5月14日の記者団との一問一答を毎日新聞のウェブサイトで読んだ。

彼の主張をまとめると、従軍慰安制度は第2次世界大戦中は日本軍だけでなく、各国の軍が活用していた。当時はそれが必要であった。

第2次世界大戦から後も、たとえば朝鮮戦争、ベトナム戦争で米軍は活用していたが、現在の規準でいうとそういう制度は許されるものではない。

問題は、軍や政府が国を挙げて慰安婦を暴行脅迫拉致をしたかということであるが、日本国や軍が組織ぐるみで従軍慰安婦制度を作ったという証拠はない。

つまり従軍慰安婦制度は、第2次世界大戦当時は、各国であたりまえの制度であり、日本だけがそのことを現在の規準でどうのこうの言われることに納得いかないということであろう。

ここでわたしが思うことを書いてみる。

彼は弁護士なので、発言そのものは理が立っており、意見を精査するとそんなにおかしいことは言っていないと思う。

たとえばこの発言を飲み屋で橋下さんと飲みながら顔をつきあわせて聞いていたら、なんとなくみんなうなづいて聞いていると思う。

ところが、いったん活字になり、それをサマライズしたりダイジェストしたり、ニュースで短く報道するとなると、そのSummaryは、「橋下市長は従軍慰安婦肯定論者」となるのではないか。

彼は報道機関が正しく彼の意見を伝えなかったと言っているが、彼の発言の全文をしっかりと読む人は少ないだろう。では、彼自身が彼の意見をサマライズするとどうなるのか?

彼はさらに以下の趣旨の発言もしている。

従軍慰安婦制度は現在では認めらないが、だが、たとえばその代わりに現在は風俗業というのがあり、それは合法なので現在では風俗を活用するべできであると。

この意見を聞いた人たちは、要するに橋下さんの発言は、一般論というよりも彼の性癖から出ている発言であり、おそらく彼は故ケネディー大統領のように人一倍性欲が旺盛で、彼自身が己の性欲をコントロールするのが難しいタイプで、たとえば妻とだけ性交渉するというのは難しく、それゆえ自分自身への弁解もあって風俗を肯定していると受ける人もいるであろう。

つまり一連の発言は、彼の性癖の言い訳であり、現在の男性は妻一人で我慢するのが当たり前で、風俗へ通う男性はある意味で情けない男性であると思う人が多いのではないか。

橋下さんの失敗は、すべての男性が彼と同じような性癖を持ち、女性もそのやむを得ない男性の事情を理解すべきであると言ってしまったことにあると思う。

特に韓国の大統領は女性であることから、彼女はもしかしたら橋下さんを助平で下品なリーダーと思ってしまった可能性がある。

女性リーダーの理想の男性は、おそらく故サッチャー元首相の夫のような男性ではないか。

2013年5月11日土曜日

どういう切り口で話しましょうか

かつて、故大島渚監督が討論会などで主張していたことであるが、軍隊というものはその存在そのものが戦争に通じる危険なものであると。

大島渚監督を知らない若い人に少し解説するが、彼は1932年生まれ、今年の1月に亡くなった映画監督で黒澤明監督のように日本だけではなく外国でも有名な監督だ。

反戦を唱える割には激情家で、討論中に興奮し相手を罵倒することもしばしばあった。

その激情家の大島さんが、非武装論を唱えていた、いわば攻撃的非武装中立論であった。

なにが言いたいかというと、彼の主張が現在のどこぞの国にあてはまると感じたからだ。

軍の主な仕事は災害救助ではなく、武器を持って戦うこと、もしくは武器を背景にして敵の侵入を防ぐことである。

祖国を守るためという大名目があるが、国の富が増し、軍に十分な予算が割り振られてくると軍というのは一人歩きを始める。

次の年で予算を削られないよう、仕事を増やして自分たちの仕事が国家にとって必要だというアピールをする。

そして、今の平和は本当の平和ではなく欧米が勝手に作りあげたもので、自分たちはずっと損をしながらも我慢してきたと。

国力がついてきた今、ようやく200年前の屈辱を晴らすときであるということであろう。

軍国化した日本が第2次世界大戦に突入していったことを非難している国が、その後をなぞろうとしているような気がする。

EUのようにヨーロッパの平和のために多くのお金を費やしているのとま逆の行動だ。

2013年5月3日金曜日

日本でこんなことがあるとは

東京の新大久保で先週在日韓国人、在日朝鮮人に対するデモがあった。

すでに各新聞、ネットで大きく報道されているので、内容に関しては説明しないが、私が驚いたのは、ヘイトスピーチと呼ばれる過激な発言、シュプレキコールだ。

相手に対して、「ゴキブリのみなさん」と呼びかけたり、「殺せ」と叫ぶのは、主義主張の前に自ら品格のなさを大衆にさらしているように思える。

見ている人の多くは、ヘイトスピーチを聞いてこのデモを危険なものだと直感し、デモに参加している人たちを憎しみに満ちた過激な人たちという目で見ると思う。

どんなに憎い相手にでも、この人たちがこのようになった背景や同じ人間であるということを踏まえてなんとかお互い共存できないのかと考えるのが品の高さで、愛ある行為だと思うのだが。

韓国や北朝鮮で同じような、場合によってはもっと過激な反日デモが行われているので、日本もそれに黙らないで同じように相手を攻撃するという理屈なのだろうか?

私はこのデモを観るまでは、日本は先進国の仲間で日本ではこの種のヘイトスピーチを伴うものはないと思っていた。

ほとんどの日本人は韓国や北朝鮮で過激なヘイトスピーチを伴うデモを観ても、まだ文化や教育が成熟していないためにこのような過激な行動にでるのだろうという大人の態度を取るものと信じていた。

国が発展し、経済が豊かになればそのうちもっと冷静でグローバールなものの見方ができるようになるだろうと。ところがこのデモを観る限りは、日本が逆行していったように感じた。

どの国の人たちでもヘイトスピーチを叫ぶ人はその行為自体で先ず遠ざけられ、多くの人たちの支持を失う。


デモのきっかけとなった在日韓国人、朝鮮人たちの特権であるが、「これは世界に例をみない差別特権」とスピーチで言っていたがそうではないと思う。

オーストラリアで言えば、私が移住した20年前は、移住してきたばかりの移民者に対して通常の国民よりも多くの特権を与えてくれていた。

移住と言っても私の場合は日本国籍を持ったままで、オーストラリアの永住権を取るというもので、それでいえば在日韓国人の立場と変わりない。

英語がうまく話せない人に無料の教育、移住してきたばかりで仕事がない人は、最初から失業手当がでて、それも日本の生活保護よりかなり高額なもので、それだけでなんとか暮らしていけた。それも仕事がみつかるまで、何年でもくれる。

オーストラリアは英語の国であるが、英語がうまくない人のために無料の電話通訳なとをつけてくれて法的な手続きで差別がないようにしてくれた。

私は、オーストラリアがくれた好意にとても感謝し、この国のためになにかしてあげねばといつも考えている。


デモでは今回が初めてのヘイトスピーチであったが、You Tubeのコメントや、2ちゃんねるなどを読んでいるとかなりの過激な発言がある。

おそらく、今回のデモのように公にヘイトスピーチを叫ぶ人は少なくとも、心の奥で、ヘイトスピーチが渦巻いている人たちはその何十、何百倍もいると思う。

汝の敵を愛せよ。